――砂糖と香辛料が混じり合うとき、そこに女の子が生まれる――
このブログは立談百景による「少女」をテーマにした小説を掲載しています。

2016年9月19日月曜日

【小説 / 短編】 シヲリニアイヲ

【あらすじ】
私は脳食、名前はシヲリ。 私は人の大脳を食らうことで、その人の記憶と人格を体に憑依させることができる。
この能力を使い、私たちは「報復屋」として働いている。


【概要】
ジャンル:カニバリズムコメディ・百合・日常
原稿用紙枚数:100枚
読書時間目安:30~60分
初版脱稿:2016年9月19日



シヲリニアイヲ

 俺を殺した奴を私が殺した。対価は前払い金と俺の死体、それから奴の死体だ。

 真夜中、人気のない山中で俺は奴を追い詰めた。

 俺を殺した奴は俺を殺したのになぜ殺されるのか分からないという顔をしていたので、私は俺を殺した犯人に俺がどこでどんな風にどんな気持ちで死んだのかを詳細に語って聞かせたし、奴が俺を殺した日にどんな服を着てどんなものを食べてどんな風に俺を殺すに至ったのかを教えた。俺の気持ちは俺がもっともよく知っているが、犯人のことについては私たち「報復屋」が全て調べた。それから私はどうして私が俺として奴の目の前に現れたかを説明したが、それでも納得していないという顔をされたので、数発くらい角材で体を打ち付けて、俺と奴しか知らない秘密をいくらか話すと、ようやく私が俺であるということに気付いたようだったので、そのまま角材で頭の形が分からなくなるまで殴って殺した。

 奴は友人だった。昔助けてもらった恩があったから、個人的に六百万円ほどの金と、住む場所を貸していたのだ。夢だった店を開くと言うので、なにか手助けになればと、それは恩返しのつもりだった。

 しかしながら、六百万円を返すよりも俺を殺した方が費用対効果が高かったんだろう。奴は俺を誘い出して殺し、山の中に埋めた。しかし自分が殺されるかもしれない、なんて考えに思い至っていれば、命なんていう高い対価を払わずに済んだというのに。

 ――さて、それでは死んだはずの俺がなぜ奴に復讐できたのか。それは「報復屋」である私のおかげだ。

 私は脳食、名前はシヲリ。

 私は人の大脳を食らうことで、その人の記憶と人格を体に憑依させることができる。

 俺は死んだあと、私たちに体を回収され、脳髄だけを一時的に冷凍保存された。それ以外の体の部位は契約としてバラバラにされ、必要各所に売り捌かれた。その対価として、俺は俺を殺した奴に報復することができた。報復屋とはそういうビジネスで、私は俺の大脳を食べて、契約条件を確認したあと、すぐに奴を殺したのだった。

 さて、俺の報復はこれでお終いだ。しかし俺はいま私としてこうして生きている。俺はまた死ななきゃいけないのだろうか、こうして私と共存するのもありなんじゃないかと思ったところで、鳩尾のあたりを急に殴られて、私は息ができなくなる。そして胃の中のものをエロエロと吐き出してしまった。

 俺の意識はそこで途絶えた。

 私はゲボゲボと咳き込みながらどうにか呼吸を整える。

 私を殴ったのは相棒のヨリヱだ。

「シヲリ、ちょっと時間がかかりすぎよ」とヨリヱはゲボを吐き出す私のことを心配そうに見ている。

 ヨリヱは脳食ではないけど、仕事をする上での大事な相棒だ。報復後の処理事や、報復前の調査なんかを一緒にやってくれている。小柄で貧相な体つきの私と比べて、結構タッパもあるしおっぱいもおしりも大きいから、私たちを足して割るとちょうど良さそうなんて言われることもある。つまり相棒にするにはうってつけなのだ。

「ヨリヱ、もう少し丁寧に嘔吐させる方法ってないの……?」別に私はマゾじゃないからね。

「それはやーよ。ちょっと楽しいもん」

 よくない趣味だこと。

 しかし助かった。私の脳食は消化が進むと取り返しのつかないことになる。無理矢理にでも食べた大脳を吐き出さなければ、やがて消化され定着した人格が私の中に残り続けてしまうのだ。それでどうなるのかは知らないけど、あまり気持ちの良いものではない気がする。

「とりあえずいまのうちに吐き出せるだけ吐き出しておこうね、シヲリ」

「げー」

「……あ、あたしが指とか、なんかそういうディルドー的なものを突っ込んであげてもいいんだけど、どどど、どう?」

「なに興奮してんのよ。あんた、穴に指突っ込むの好きなだけじゃん」

「違うよう。好きな子のあらゆる穴にいろんなものを突っ込みたいの、あたしは」

「…………」

「あたしシヲリのこと大好きだから、良いでしょ?」

 良くねーよ。

 ともあれ相棒のヨリヱにはいつも助けられているので、下の前の方の穴くらいならいつでも貸してあげなくもない。ていうか貸してあげないとしょげて仕事にならない。かわいい奴め。帰ったらセックスだ。

 私はヨリヱのことをテキトーにあしらいつつ「この仕事は肉体的コスパが悪いぜー」と、作業用の霊柩車に用意されていたエチケット袋にゲロゲロと吐く。脳の消化を遅らせるために仕事前には結構な量の食料を胃に入れるから、ゲボもえらいことになっている。

 私が車中で待機している間に、ヨリヱともうひとり、新人作業員の波木君が死体の回収を行っているはずだ。おそらく私の吐瀉物も回収しているだろう。

 ヨリヱがどんな顔で私の吐瀉物を回収しているかは想像がつく。多分ネットで無修正エロ画像を無限に見つける方法にたどり着いた男子中学生みたいな顔だ。

「お待たせシヲリ、はやく帰ろうね」

 私がエチケット袋に顔を埋めているうちに、さっさと死体回収とゲボ回収と現場処理を済ませたヨリヱが戻ってくる。ヨリヱはなにかスッキリした顔をしているが、詳しくは聞かないでおく。

「最近あたし、手もなにも使わないでアクメに達することができるようになったの」

 聞かないでおいたのに。

 ヨリヱの運転で車は出発し、私たちは現場をあとにした。




「謝肉の夜だ、シヲリを讃えよ」

 私が会社へ戻ると、館内に放送が響いた。

 うちの会社の習わしで、現場から帰ってきた報復屋は拍手を持って出迎えられる。こんなクソ裏稼業に誇りも実績もないけれど、世間のどこからも評価されないという点を自前で賄おうというのは理にかなっているのかも知れないい。

 私とヨリヱはいかにもな黒服やごく当たり前のリーマンみたいな奴らからの拍手を浴びつつ、社長室へ報告に行く。

 あくまで拍手を浴びているのは脳食の私だけだ。報復業界において脳食者は花形なのである。

 全国津々浦々、あまねく存在している報復屋の稼業は主にふたつ。

 ひとつは「生きてる人」からの報復依頼。つまり法では十分に裁けなかったゴミカスクズ野郎なんかに泣き寝入りしてしまいそうな依頼者に代わって、十分な復讐を果たすのがこの仕事だ。報復屋のほとんどはこっちで生計を立てている。報復屋なんてのはヤクザ上がりの連中や力の使い道がない器用貧乏な奴が最後にいきつく仕事で、大体は数人単位の徒党を組んでシコシコと小銭を稼いでいる。

 しかし報復屋でガッツリ稼ごうというなら、どうしても大所帯の組織になる。そこで出てくるのがもうひとつの稼業。これは「死んだ人」からの報復依頼だ。つまり「殺されたら、自分を殺した奴を殺してくれ」という依頼――つまり報復の保険である。

 報復保険は単純に報復を代行するものと、私みたいな脳食者や降霊術を使えるイタコなんかが死んだ本人に体を貸して報復を直接遂行するものとがある。

 掛け金は高額だし、死後は遺体も戸籍も丸ごと奪われるが、案外人間の心理というやつは醜いもので、こんな嘘みたいな話でもみんな意外とホイホイ保険に加入してくれる。そして単純な報復代行より、本人が直接手を下せる報復屋の方が当然儲けがいい。

 私たち脳食者は報復業界の花形、超エリートなスーパースターなのだ。

 しかし超エリートスーパースターとはいえ、うちの会社の場合はわりと普通のサラリーマンみたいなものなので、私もさすがにボスの前では若干緊張する。私たちは社長室に入ると、ボスを前にして軍人がするようにピシッと整列をした。

「シヲリ、ただいま帰りました」

「同じくヨリヱ、帰りました」

 ボスはやたら大きな椅子にやたら大きな体を埋めて、いかにも悪人であるということを醸したいがために吸っている葉巻を灰皿に押し付けた。そして私たちのことを取って食いそうな目でじっと見たかと思うと、パッとニコニコした笑顔になった。

「んふふ、ごくろうさまぁ。二人ともつかれてなぁい?」

 捕らえた誇り高き女騎士をその汚いペニスで種付けレイプしそうな極悪顔のオーガの頭領みたいなオカマが、私たちのボスだ。

 ニコニコ笑顔のオーガがドスの利いただみ声で物腰柔らかく喋られると、なにか得体の知れないものを前にしているようで、身がこわばる。

「体に異常はありません」

「あたしも大丈夫でーす」

「んふ。そう? なら良かったわ。体の健康がイチバンだものね。特にシヲリちゃん、いつも無理をさせてごめんなさいねー、んもぅー。脳食者とはいえシヲリちゃん自身が消えちゃったら元も子もないんだから、異常があったらすぐに言わなきゃダメよ。コオロギ先生のところから健診報告が上がってないから、ちゃんとお身体を診せに行きなさいね」

「あ、ありがとうございます」

 ボスは優良サイコパス経営者なので、職員のことはとても大事にしてくれている。でも顔は怖い。

「それで、今日はどうだった?」

 ボスに促され、私たちは報告を始めた。

「保険者番号六〇〇八五二四番、羽場灰太(うば・はいた)様の報復、無事に完了しました。報復相手はご友人の谷合谷剛烈(たにごうや・ごうれつ)氏で、羽場様の死後十二時間以内に撲殺、遺体はそれぞれ検品室に回しています」

「頭部以外に目立った外傷はないけど、もともと谷合谷さんは肥満体型だったので、御遺体の価値は少し低いかもですね」

「所感は主に加工用かと」

「あたしも同様です」

「一次検品の結果、依頼者の羽場様の御遺体は健康体です。本人も生前はスポーツ趣味で、フットサルや市民マラソンにも積極的に参加されていたようです。引き締まった良い肉体をしています」

「部分的には生食もありですね」

「検品室からの報告では、臓器は全て保存状態も良好です。ただしあらかじめ頭部の多くは欠損していました」

「谷合谷さんは、斧のようなものを使って頭をゴルフのスイングをするみたいに羽場様のことを殺しちゃったようです。脳髄の三分の一くらいは飛び散って行方知れずになってました」

「羽場様は屋外で殺害されていたので、不明の肉片はいずれ鳥のえさになるか地に還るでしょう」

「問題なしでーす」

「頭部で使えそうな部位は多くありませんが、それを補って余りある御遺体です。問題ありません。さらに羽場様自身は若い頃に両親もなく、親戚も疎遠のようです。十代の頃に妹が行方不明になっているようですが、すでに十年以上が経過しており、死亡者扱いされています。身元確認済み身寄りなしの証印も押せるでしょう」

「んふ。各所に高く買い取っていただけそうね。御遺体もさぞ満足してくださるでしょ」

「精密検品の結果と見積もりは追って査定室からご報告があるかと思います」

「報告は以上でーす」

「はいはぃ、二人ともごくろうさまでした。二人はほんとーによく働いてくれるわぁ。この会社が成り立つのも二人のおかげよ。ゆっくり休んでちょうだい」

 社長は褒めて伸ばすタイプだ。

 報告を終え、社長室を出た私たちは、会社の食堂で遅い晩御飯を食べることにした。うちの会社は人肉食の人にも肉を下ろしたりしているけど、この食堂に出るのは普通の料理だ。

 私は胃袋を休めるように白湯だけ飲んで、ヨリヱが目の前で超特盛りトルコライスとうどんのセットを食べるのを見ていた。

「ねえシヲリ、今日はこのあと予定あるの?」

「ないよ。寮に帰って寝るだけ」

「んもー、なんで会社一番の稼ぎ頭が寮住まいなの? 遊びに行きにくいよう」

 下手に独り暮らしを始めたらヨリヱとのとめどないただれた生活が待っているだろうから気持ち会社の監視下にある寮生活の方がなんとなく健康に良い……とは言わないでおく。

「まあいいじゃん、どっか行きたいんでしょ? 付き合うよ」

「え! シヲ、シヲシヲリがあたたたしとつつつつつつつ付き合う付き合う付きアーーーーー! アァーーーーーー!」

 食堂中に響き渡る絶叫を発しながら、ヨリヱは仰け反りビクビクと体を震わせた。

 うわあ、こいつマジでなにもないところからオーガズムに達しやがった。さすがにドン引きだわ。

 食堂には私とヨリヱしかいないから助かった。

「ハァ……ハァ……シヲリしゅごい……」

「なにもしてない!」

 逆になにかさせろや。

「あ! シヲリがあたしのアクメ姿を見て若干発情してるっぽい! アーーーーッ! んアーーーーーーーー!」

「だからイクなって!」叫ぶなビクビクすんなセックスさせろ。

 私たちは半分以上残ったトルコライスを食堂のおねえさんにタッパーへ詰めてもらい、ヨリヱの愛車のジュリエッタで明け方のドライブに出掛けて人の居ない心霊スポットのトンネルの中でカーセックスしてヨリヱの家に帰ってド早朝セックスしてから寝た。ヨリヱが敏感になりすぎてるせいでいろんなタイミングが掴みにくくなっててやりにくかった。それから昼すぎに起きてトルコライスをフライパンでぐちゃぐちゃにあっためなおしたやつを仲良く食べてからもう一回ゆるいセックスをして解散した。

 私たちの日常はこんな風に大体だらしない感じだ。

 脳食者には女性しかいない。

 珍しい存在だが、しかし絶滅危惧的に希少というほどでもない。大変だけど探せばどこかにいるし、多分自分自身が脳食者であることに気付かない人もいる。

 当たり前だ。普通は人の脳を食べなきゃそんなものに自分から気付くわけがないし、普通は人の脳を食べることなんてない。

 私の場合、小さい頃に弟の脳を食べて脳食だと気付いた。そして幼く判断力のない私が弟になったことを吹聴して回った結果、脳食者のリクルート犯罪組織に捕まって大事に育てられていまの会社に就職することになったのだ。

 いろいろあったけど、この生活のことはなかなか気に入っている。衣食住は保証されているし、私の仕事は私にしかできない仕事だ。相棒にも恵まれてるし、職場も和気あいあいとしている。

 報復屋は裏稼業だし、業務のほとんどは報復のための調査や密偵なんかだから拘束時間がウルトラブラックになることもままあるけど、休みの日も多い。

 どんな人でも殺せるように身体を鍛えたり頭を鍛えたりするのも結構楽しい。

 脳食者は少し社会不適合な場合が多いらしいけど、脳食の私がほどほどに生きていけるのは脳食のおかげでもある。




「はい、身体に問題はなさそうね、シヲリさん。プリオン病の兆候もないみたい」

 私はこの日、休みを利用して闇脳神経外科に定期検診にきていた。一通りの検査を終えて、闇医者のコオロギ先生は「元気なのはいいことね」とそっと微笑む。クソかわいい。セックスしたい。

 私はデレデレしながら「ヨリヱがゲボ吐かせるの上手なんです、タイミングとか力加減とか」なんて聞かれてもないことを答える。

「やだノロケ? いいわねー。ヨリヱさんおっぱいも大きいものね」

「えへへ。でも私いつでもフリーなんで先生良かったらいまからホテル行きません?」セックスセックス。

「んーん、ゴメンねシヲリさん、先生の性嗜好はノーマルだから」

「セックスだけセックスだけ! せめてチューだけ!」

 チューだけさせてくれたらセックスに持ち込める自信があります!

「セックスもチューもダーメ。先生、そういうのは本当に好きな人としかしないの。ヨリヱさんのことちゃんと大事にしてあげてね」

 うおーーー! 優しいーーー! セックスしたーーーい!

「ふふ。ま、元気みたいで良かったわ。もうシヲリさんも業界に入って長いけど、慣れてきたときが危ないから気を付けてね。脳食はいろんな病気の危険を伴うから、少しでも異常を感じたら必ずくること。検査は異常なしだったけど、なにか自分で気になってることはない?」

「先生にめちゃくちゃにされたら私どうなっちゃうんだろうってのは気になります」セックスセックスセックスセックス。

「うん、特になにもなさそうね。あれだけ働いてそれだけセックスしてもまだ足りないって言うんだから、ちょっと元気すぎるくらい。でもシヲリさんとヨリヱさんは診断するまでもなくセックス依存症だと思うからほどほどにね」

「はーい」

 ノーセックスでフィニッシュ。

 まあ先生がたくさん淫語を喋ってくれたから帰ってオナニーすればいいや。

 それから昼休みになる先生としばらく雑談して、最近地域的にトレパネーションが流行ってて、一番ひどいトレパネーションは頭蓋骨穿孔どころか前頭葉を覆う頭蓋を全部取っちゃってアクリルかなにかの保護カバーを付けたらしく、先生は前頭葉キカイダー手術をしたとか石ノ森先生をディスりかねない発言をしていたけど、先生特撮好きなんだということが分かってちょっと興奮した。あとセルフロボトミーが流行しつつあるらしく、あれは危ないからどうにからやめさせたいみたいな話も聞いた。




 私は今度先生を襲うかデートに誘うか迷いながら病院を出る。コオロギ先生のコオロギ脳神経外科医院は闇とは言いながら表向きは普通の脳神経外科医院なので、町の普通の通り沿いに門を構えている。

 あんなかわいい先生ならすぐにどこの馬の骨とも分からない男に見つけられるかも知れないし、そんな男に先生の柔肌を揉みしだかれるなんて由々しき自体だマジでどうにかしなきゃ、私が闇医者をレズセックスの闇の中にうんぬんかんぬんブツブツと考えてたら、背後から車のクラクションに呼び止められた。ヨリヱのジュリエッタだ。

 違うんだよなー普段はヨリヱとクソはしたないびちゃびちゃセックスしてるけどいまは先生みたいなかわいい感じの女医さんとアカデミックでペダンチックなペロペロラブラブセックスって気持ちなんだよなーヨリヱに白衣着せたら女医さんっぽくなんないかなーと思ってたらヨリヱはいつになく真面目な顔をしていたのでどうやら仕事でなにかあったっぽい。

 私が路肩に停められたジュリエッタの助手席に乗り込むと、ヨリヱが急に私のBカップを揉みしだいたので仕事じゃなくてセックスだやったーと思ったらやっぱり仕事の話だった。

 ヨリヱは私の胸を揉みながら言う。

「ちょっと仕事で変なことがあったみたいだから一応伝えとこうと思ってきたの」

「ん……ん……うん……」いやこれセックスじゃね?

「こないだの羽場様の御遺体のことなんだけど、なぜか臓器の一部から超小型の発信機が見つかったらしいの」

「え? あ……ぁン、乳首ダメだって……」

「発信機は……んっ、中国製の違法品だからッ、んっんっ、はぁはぁ」

「喋りながら吸ったら……んん! くすぐったいから……ぁ!」

「ハァハァハァハァハァハァハァハァシヲリかわいすぎもうダメ我慢できない!」

「んっ……んん!」ヨリヱが脱いだ、セックスだ!

「すっごいよシヲリ、乳首ちょっと吸ったらパンツの中ぐっしょぐしょだもん。指かなあ、シヲリあたしの指好きって言ってたもんねえ。長い指で奥の方をうにうにさせるのがいいんだもんねえ」

「あっ、あ、あ、あ、ダメヨリヱ、なんかいますごいの、指はいったら、飛んじゃう」

「飛んで、飛んでいいよシヲリ、はやくはやく!」

「ああっ! あんっ! んっ! 奥、すご……んッ!」

「シヲリの膣内熱すぎて……ハァハァ……あたし……」

「ンンッ! ああっ! あんっ! んっ……!」

「イッた! あーすっごい、噴水みたい。おしりもヒクヒクしてる……シヲリがあたしの指でどっかにどどどどどっかに飛んでととと飛んであーーーーーっ! あーーーーー! ……ハァハァ。あたしも飛んじゃった……。うん、それで発信機なんだけど、中国んっあっ! あっ! シヲリ待って!」

「ハァ……ハァ……好き勝手しやがってヨリヱめ、逆襲してやる!」

「待ってあたしもいま敏感になっんーーーーーー! あーーーーーーっ!」

 このあとヨリヱを三十回くらいイかせて、私も五回くらいイかされて、ようやく本題に入る。

「なんだっけ、中華料理屋でチャーハン? 私スーパイコーがいいかな」

「スーパイコーってえっちな響き……違くて。えーっと、先日の羽場様の御遺体を精密検品にかけたら、臓器にうちのとは違う発信機が付いてたって報告が上がったの」

「え……なにそれまずいね」

「まずいでしょ。知らせなきゃと思って」

 発信機は御遺体の死と位置を知らせてくれるものだ。うちの会社の場合は保険加盟時に体内へ発信機を埋め込ませてもらう。ごく小さいもので、日常生活には支障がない。

 この発信機で死を特定する仕組みは、特に大手の報復屋が採用している。つまり羽場様の御遺体にうちのものとは違う発信機が付いていたということは、二重契約が行われた可能性を示す。

「非常にまずいよね。大手は顧客リストを共有してるから二重契約なんて滅多に発生しないのに。野良業者かな」

 御遺体はひとつしかなく、報復もひとつしかない。二重契約は会社間で御遺体と報復の取り合いになるため、あってはならないことなのだ。

「んー、野良業者なら埋め込み式の発信機はリスクが大きくて使わないと思う。発信機自体は中国製の怪しい安物でそんなに遠くまで電波が届くものじゃないみたいだから、誰か個人が羽場様に取り付けたものみたい」

「動いてたの?」

「止まってたんだって。生体電気で動くタイプだったみたい。止まる瞬間に位置情報を発信するやつね」

「本当にうちで使ってるのと同じタイプなのね。そんな高級品に安物なんてあるんだ」

「コピー品っぽいよ」

「だから個人ってことか。とりあえず会社の位置までは分かってない感じ?」

「そうみたい。でも羽場様の死の直前まで稼働していたとしたら、羽場様の御遺体がなくなってしまったことは気付かれてるかも」

「あー」

「社長には報告済み」

「社長はなんて?」

「心配しなくていいって。処理係が調査するみたい。あたしたちは引き続き報復遂行業務をがんばるようにって」

「社長優しいよなー」

「あたしもそう思う」

 顔は怖いけどね。

 羽場様に誰が発信機を仕込んだのかは分からないけど、仕事に支障がないなら、今は気にすることもないのかも知れない。

「……ていうかヨリヱさ、知らせてくれるのはありがたいんだけど、別に電話でよくない?」

「やーやー、ついでにシヲリとセックスしようと思って」

 なるほど。

 言われるまでもなく私たちはセックス依存症なのである。よく考えたらここ路肩だし。

 まずい話を聞いたあと、私たちは美味しいスーパイコーを食べに行ってヨリヱのスーパイコーをスーパイコーした。あと酢豚と雌豚って文字の成分的にはほとんど同じだよね、みたいな話もした。

 羽場様の御遺体に付いていた発信機の件はその後も音沙汰はなく、私たちもしばらくは普段通りに業務とセックスをこなしていた。ヨリヱの非接触型オルガスムスは日を増すごとにひどくなっていて、最近は絶頂後からの復帰速度を上げる特訓をしているようだ。

 私はといえば、誰かに襲われてしまった。

 襲われた、という表現は曖昧だが、要するに襲撃にあった。

 襲撃そのものは時折ある。なんだかんだ裏稼業の私たちはいろんなところから恨みも買うし、羨望も買う。優秀な人材なら引き抜き拉致監禁も当たり前だ。つまり私が襲撃されるのは私の能力の賜なのだ。

 ――なのだが、今回は少し事情が違う。

 私は襲撃者を取り逃がしてしまったうえに、その襲撃者の足取りを追えないでいた。しかも同じ襲撃者から、もう四度も襲われている。

 件の襲撃者はハッキリ言って雑魚だ。鉄パイプで殴られそうになったり軍用スコップで首を狙われたりもしたけれど、不意を突いてくるのに太刀筋が雑すぎて簡単に避けられるのだ。

 相対してしまえば、普通はそんな雑魚を縊り殺すくらい容易い。だから襲われても痛くもかゆくもない。

 問題なのは、その襲撃者が異常に打たれ強く、逃げるのがうますぎるということだ。そして襲撃の目的も分からない。

 同業者ならあんな雑魚は送ってこないだろう。普通の人なら私の足取りを何度も掴むことが難しいはずだし、そもそも私を襲う理由がないはずだ。

 襲撃者に「てめえ何者だ!」と声をかけると「またくる」と去り際に女の声で返事がきたから、多分体付きのシルエットからしても女ではあるらしい。逃げ足は遅かったけど追いかけているうちに消えていたから、逃げ慣れているか隠れ慣れているみたいだった。

 私たち報復屋の業務の多くは興信所みたいに密偵だったり尾行だったり素行調査だったりと、要するに人を追いかけることに長けている。私とヨリヱはこれが得意だからうちの会社でトップクラスの営業成績を誇るのだけど、その能力を以てしてもその女を見つけることができないでいた。

 これがここ二週間くらいの出来事だ。

「うーん、羽場様か谷合谷さんの関係者かなあ?」と今晩の仕事現場に向かう霊柩車を走らせながらヨリヱが言う。

 私もそんな感じがしている。なんとなくそう思うのは、やはりあの発信機の件だ。ふたつはどちらも動機が分からないという点で共通している。

「シヲリが襲撃されているとき、あたしはいないよね」

「そうね。やっぱり、うまくひとりのときを襲われてる感じはする、密偵業務中に襲われることもあったけど」

「尾行はされてないんだよね?」

「されてないと思うよ。ていうかされてるとしたらヨリヱといるときにだってされてるはずじゃん。気配ないでしょ?」

「そうだよねえ……。あとはシヲリにも羽場様みたいに謎の発信機が付けられてるとか」

「いやー無理でしょ。手術された形跡もないし、現実的じゃないと思う」

「でもシヲリに返り討ちに遭いながら逃げ切るなんていう現実的じゃないことは、すでに起きてる」

「うーん……いや、寮以外で無防備な状態になるのなんてヨリヱかコオロギ先生のところだけだし、やっぱ違うと思う」

「そうかー」

「こんくらいの情報で、いまんとこ所感はどうですか、ヨリヱ調査員?」

「アホほど打たれ強くて隠密能力が青天井のウルトラドM女がシヲリにストーカーしてる、というのが現時点でのあたしの見解」

「えー、そんな奴いるかな」

「いるよう。シヲリちょっとかわいすぎるところあるもん」

「ふむふむ。ちょっと私のかわいすぎるところ言ってごらんよ」

「そうねえ。まずえっちなところでしょ。声でしょ。あとキスしたら全く抵抗できなくなっちゃうところでしょ。それから身長とおっぱいが小さいところでしょ。持ち上げたら華奢で繊細で大事にしなきゃって思わせてくれるとこでしょ。でもおしりは案外さわり心地がいいところでしょ。あたしがシヲリのことを気持ちよくさせたら悔しくなってあたしのことをもっと気持ちよくさせてやろうってがんばるところでしょ。そうすると自分も切なくなってきてよがってるところでしょ。それから」

「あ、ごめんもういい、思ったより恥ずいわ」

「そう? シヲリはこんなかわいいのにあんなに乱れみだみだみだれみだれみだみだあーーーーーーーっ! あーーーーーーっ!」

「ちょっヨリヱ! 運転中のオーガズムは控えて!」

「うん、分かった」

「復帰が速い!」

「自在にイケるよ」

「セックスしがいがねーよ……」

「でも自在にイケるようになって分かったんだけど、セックスって愛の行為だと思う」

「……その心は?」

「あたし、オーガズムをゴールにしなくていいと分かると、本当にセックスですべきことが分かってきた気がするの」

「ほうほう」

「体を確かめて、存在を確かめ合う。これって愛だよね」

「……分かるようで分からない、ちょっとも分からない恋愛評論家ばりの高尚なクソご意見傷み入るけど、あんたが私に何回イカされたか数えて日記つけてるの知ってるからね?」

「そんな恥ずかしいこと知られたらイッイッイッちゃイッイッちゃイッ……我慢してみた」

「おお、自在だ……」

 感心しとる場合か。

 仕事前くらいもうちょっと緊張感が欲しいよね。私とヨリヱはちょっと仕事仲間としては距離感が近すぎるかもしんない。やりやすくていいけど。

 気になることはたくさんあるけど、ともあれ、いまからは仕事に集中しなくちゃならない。

 私たちは仕事現場になる廃工場の近くまできて、空き地の目立たない場所に霊柩車を停めた。

 今日の報復遂行はここで行われる。報復相手はこの廃工場にやって来るよう、うちの会社の追い込み部隊が動いているはずだ。

 私は車の中でゼリー飲料をお腹がタプタプになるまで補給する。脳食の危険は脳を消化してしまうことにある。あらかじめ胃袋を埋めておくことで、脳の消化を遅らせるのだ。

「今回の報復相手は」とヨリヱが話し始める。

 私はスマホをいじりながら話半分にそれを聞く。車の中で行うのは最後の事実確認程度で、あらゆる情報はお互いに頭の中に入っている。業務上の段取りというやつだ。

「今回の報復相手は柚子崎ひなこさん三十歳。ご依頼主の薬玉紅白様をバラバラに惨殺したのち、一部を持ち帰って保管。柚子崎さんは薬玉様に強い好意を抱いてたみたい」

「ほーん。つまりストーカーだったのね」

「端的に言うとそうなるわね。結局我慢できなくて殺してしまったみたいだけど」

「そのー、それがよく分かんないとこよ。なんで好きなのに殺しちゃうのかな」

「誰かに取られるくらいなら殺す、みたいな感じ?」

「もう会えなくなるのに?」

「うーん。あたしたちみたいな稼業だとピンとこないのかも知れないけど、例えばその人の『初めて』と『最後』を同時に奪える究極の行為のひとつが殺人なんじゃない?」

「……どゆこと?」

「普通は殺されるのって人生で一回しか経験できないでしょ。そして殺せば好きな人の死の間際を独占できる。独占欲が歪んでたらありえない話じゃないのかも」

「ほー、なるほど?」

「あたしもシヲリがあたしの脳味噌を食べてくれたら同じ身体でひとつになって、もはや究極のセックスかも知れないって思うし」

「……それは絶対やだ」

「あ、あたしはいつでもコオロギ先生のとこに駆け込む準備はできででできてきてててきてああーーーーーー! んーーーーあーーーー!」

「なるほど。私もだいぶアクメ慣れしてきた感じあるな」

 慣れとは恐ろしいものです。

 そんな妖怪アクメ女は捨て置いて、ようやくターゲットが廃工場付近に誘導されたと連絡があった。

 私は保冷ケースから薬玉紅白様の脳髄のかけらを取り出す。

「にしても、よく頭が残ってたね。ストーカーなら真っ先に頭を持っていきそうなもんだけど」

「一部しか持って帰れなかったみたい。頭って結構重いから。証拠隠滅のためか、顔もぐちゃぐちゃだったし」

「……ストーカーの気持ちがますます分かんなくなった。美醜はともかく、顔は大事なアイデンティティでしょう」

「恋は盲目、と言うから、顔も見えてなかったのかもね」

「…………」

 なるほど、とはなんない。

「まあいいや。それじゃあヨリヱ、今日もお仕事がんばろう」

「はいはいシヲリ、よろしくどうぞー」

 私は人工脳脊髄液のゼリーにまみれた脳髄をヨリヱから両手に出してもらうと、それを口に滑らすように一息で飲み込んだ。

 そしてポカリスエットをごくごくと飲み込み胃袋に流し込むと――

 私はすぐさま運転席の女の顔面を殴った。

 違うこれはまずい。

 油断していた私はたまらず叫ぶ。

「私をすぐに吐かせろヨリヱ! こいつ薬玉様じゃない!」

 私は右手で指を喉に突っ込もうとするが私がそうはさせないと左手で止められる。無理矢理にでも嗚咽をしようとする私は阻止するために口を閉じた。右手で私の首を絞めて私は左手でそれを剥がそうとするが胴体が思うように動かず下半身の命令が上手く奪えない。人格と脳の命令がぐちゃぐちゃだ。私はまずヨリヱとか言う女を黙らせる必要があるから車を降りようとしたところで腹に強い衝撃がある。

 ヨリヱの拳が私の鳩尾を的確にとらえていた。

 思わず胃の中のものが逆流したが口の中いっぱいになったそれをこらえ、また飲み込んで胃袋に戻す。そして私はヨリヱの腹に何発かの蹴りを叩き込んで、車から転がり降りる。

 ヤバいどこのどいつだか知らないがこいつ思ったより自我が強い。身体と人格の支配率はどれだけ脳髄を飲み込んだかで概ね決まる。しかし、たまにこいつみたいな自我の塊みたいな奴もいるのだ。

「ヨリヱ、こいつ例の襲撃者だ! 自我が強すぎて記憶を全部共有できないけど、てめえの脳味噌食わせて私になにかさせようとしてる!」

 叫ぶが、ヨリヱから返事はない。意識を失ってしまったのかも知れない。私の意思じゃないけど私の蹴りだ。ヨリヱも多少は身体を鍛えているけど、基本的に調査員はそこまでの戦闘を想定していないのだ。

 私はなんとか自分の身体のコントロールを取り返そうとするが、右肩を脱臼させられてしまう。どうやら襲撃者は左利きらしい。奴の思考は霧がかかったようで、薄ぼんやりとしか分からない。右腕のあたりは支配されていないけど、つまりぶらぶらと首吊り死体のようにぶら下がる右腕の脱臼の痛さだけが私を苦しめている。私の体はどこかへ向かっているがどこに向かっているかは分からない。

 今回はマジでヤバいかもしんない。最初こそ襲撃者の人格がちょっと出ていたけど、すぐに引っ込んでってしまった。脳での自我の境界を操作できているみたいだ。

 しかし自我の境界を曖昧にしなければ、一方的に相手の思考を見ることはできない。相手の考えはまるで分からないが、幸いなことに私の狙いも相手には分かっていないはずだ。

 私はなんとか右足のコントロールだけは奪い、霊柩車の後ろ窓を蹴破って作業員に声をかける。今日の作業員は新人の波木君だっけか。

「波木君! 緊急事た……」

 げ、波木君死んでるっぽい。八重歯のかわいい男の子だったのに。私がバキバキのレズじゃなかったら抱かれても良かったんだけどな。

 波木君を殺した奴は、波木君の死体のそばでほとんど前屈みたいに腰を大きく曲げて立ち、こちらを見ていた。髪の長い女だ。――私を襲撃してきたあの女だ。

 私はさすがに混乱した。女はいま私の中にいるはずだ。一瞬だったが奴の記憶も見えたし間違いない。なのになぜそこに女がいるのか分からない。

 女は霊柩車の中を屈みながらこちらに近づいてくる。

 私はようやくその顔をじっくりと見ることができた。やはり見覚えはないが、なんとなく面影を知っている気がする。――羽場様に似ている。

「よよようやく捕まえられれれそうね」と女が言った。

「ここまで大変だったわね」と私は応えた。

 もはや私は自分の言葉さえコントロールできなくなっていた。

 私の身体はすでに自分のものでないような感覚さえあるが、それでもなんとか、近づいてくるその女に一発食らわせてやらなければならない。これから殺されるかも知れないが、やられっぱなしは我慢がならない。

 女が私の前に踏み出す。おそらく奴は私の攻撃範囲には入らないと踏んだのだろう、しかし残念ながらそれは違った。

 その瞬間、私は脱臼した右腕を振り子のように擲ち、女の髪に手をかけた。

 案の定私は奴の髪を掴むことができた。

 できたが――本来ならそのまま蹴りの一発でもお見舞いしたかったのに、それはできなかった。

 女の髪が頭皮ごとべりべりと剥がれたのだ。マジかよ。いくら私でも生きた人の頭の皮を剥がすなんてできない。私の腕はまたぶらぶらと首吊り死体のようにぶら下がる。剥がれた髪の毛を掴んでるから逆さづりの死体が肩からぶら下がってるように見えるかも知れない。

 目の前にはさぞ血まみれグロテスクな光景があるだろうと思ったが、しかし私はもっと目を疑うような光景に出会った。

 女の頭はつるつるだ。月明かりが反射している。どうやら髪の毛は特殊なカツラを貼り付けていたみたいで、それが剥がれたらしかった。そしてカツラが取れたそのつるつるの頭は、前半分が透明のアクリルかなにかでカバーされていて、露わになった脳味噌が楽しそうに顔を出していた。

 前頭葉キカイダー!

 驚いたのも束の間、私はキカイダー女から注射器のようなものを首に指され、意識を失ってしまった。

 ファック!

 ファック、ファック。

 ファック。

 目覚めると椅子に座らされて縛り付けられていた。どうやら拉致監禁されたようだ。こんなピンチは久しぶりだ。

 身動きは取れなかったが、どうやら奴の脳はすでに吐き出しているようだった。しかし胃袋が空っぽになってる気がするし、いま脳味噌を食うと結構ヤバそうだ。

 どうやらジメジメした部屋の中にいるらしい。目隠しはされていないが、薄暗い場所であまり周りの様子が分からない。

「てめえクソアマ出てこい! てめえの内蔵引きずり出してド低額査定してやる! そして変態クソ野郎に顔写真付きで買われて小腸オナホールにでもされやがれ! 貫通式逆アナルファック体験だオラァ!」

 私がわめいていると、ようやく女が部屋の奥からやってくる。

 薄暗い部屋に「めめ目覚めたそばからら元気がいいいのね」なんて言いながら、前頭葉キカイダー女は切れかけの裸電球のスイッチを入れると、私から少し離れたところに立ち止まった。

 正直伏線的にはコオロギ先生が出てくるんじゃないかと思ってたから違って安心した。いつまでも私のマドンナでいてねコオロギ先生。はやく会いたいな。

「てめえのことはぶち殺してやるからな脳味噌半ケツ女」

「殺せるせるなららら殺殺してもらって構わわないわ」

「しかっと喋れや」

「喋べべりたいいのはやまままだけど、ほんの少しばかりの脳を切り取っちゃったからごめめんなさいねね」

 ――なるほど。

 私も詳しくは知らないけど、脳というのは大部分を切除しても動くってのは聞いたことがある。脳味噌が空っぽになっても頭蓋に貼り付いた大脳皮質だけで問題なく生活をしている男性や、ひどいてんかんを治すために右脳を切除した少女もいる。海馬を切って古い記憶だけで生きている男性だっている。

 まあ特殊な例はさておき、大抵の場合は死ぬんだけど。

 しかしこの女は生きている。

「お医いし者しゃさんに切ってもらったたのよ」

「……コオロギ先生?」

「名前は知らななないけど優さしい美人んんの先生だったわわ」

 完全にコオロギ先生だわ。

 先生の闇稼業はビジネスじゃなくて超博愛主義によるもので、それは依頼者に対して公平に施術される。先生は目の前の困っている人を助けることに集中しているのだ。だからそれを助けたらどうなるとか、どんな理由で手術したいかとか、そういうことには全く触れない。

 それがどんなイカれサイコパス女の要望であっても、助けてあげるのがあの先生だ。

「優しすぎるぜ先生……」

 無事に帰れたらセックスさせてくんないかな……。

 しかしまずは無事に帰ることを考えなくてはならない。

「おい、なにが望みだ半ケツ」

「わたたしの名前はは羽場マヰコ、あなたたたたちに報復を依頼したたたた羽場灰太たたたの妹よ。憶えておいてててね」

 つまり羽場様の行方不明になってた妹がこいつというわけか。十年以上もよく行方不明になれたもんだ。

「……羽場様に発信機を仕込んだのはあんただな?」

「そそそうよ」

「てめえの兄貴に発信機を仕込むなんて随分良い趣味してんじゃん」

「当たたたり前よ。私はお兄様まままを愛していたもの」

「…………」

 つまりこいつは自分の兄にストーカーをしていたらしい。

 となると、やっぱり狙いは羽場様の御遺体だろう。御遺体を持ち去ったのは確かに私たちだし、発信機で死亡信号が出たところで駆けつけたこいつが私たちが遺体を持ち去るのを偶然見てしまったとしても不思議じゃない。ストーカーでなくても、自分の兄の死体なら返せと言われても当然だ。

「残念だけど、もうあんたのお兄様の御遺体は出荷された。食用から医療用、加工用まであらゆる部位が取引済みでうちの会社には少しも遺っていない。遺品はまだ保管してあるから、あんたに返すことならできる」

「……そそそう、やっぱりぱりお兄様の死死死体はもうないいのね」

 怒ったかな? しかしそんな感じはしない。死体がなくなってるのもわりと想像してたみたいだ。……じゃあ狙いはなんだ? 私への報復かな。でも単純な報復なら多分私はもう死んでるはずだ。拷問系の報復ならちょっと辛いけど、椅子に座らされてるところを見るとそれも違う気がする。

「クスクスクスクス、あなたた、脳食者とかかかいうやつななんでしょうう?」

 羽場マヰコが私を見て上品そうに笑う。生い立ちは知らないけど羽場様もちょっとした資産家だったから、育ちは良いのかも知れない。

「人の脳髄をを食べべるると、その人ととのことをあななたたの中に転移させせられるのよよねえ。まさか本当にににそそんなことがができるなんて、不思議だったたわ」

 私の方を見ながら、羽場マヰコは自分のアクリル頭をコツコツと指で叩いた。

「ところろで、私みたたのよ。あのの日、お兄様が殺されててててしまうとこころ」

「……え? あんた、羽場様の殺人現場にいたの?」

 羽場様が死んでからやってきたんじゃないの?

「そううよ。お兄様が谷谷合合谷谷に呼ばれ、地面に組み伏せせらられたたあとと、柄のの長がい斧でおお兄様まの頭をゴルフスウィィィンンングの要領ょうで飛びび散らせせる様子を見てていたわ」

「……怖くて動けなかった?」

「ステキだったた」

「……そうですか」

「私はねね、もう十年以上ょううもお兄様のこことを見ていたたの。まだ私がうららら若き乙女めの頃、お兄様にこ恋をしていたわ。こ恋をしてて恋ををして、お兄様が好ききで好すききでたまららなかった。あるととき私は少しし家に帰るのが遅くなったの。そうしたららおお兄様は狼うう狽していいたわ。心んんぱ配をかけるなと言われた。別のあるるとき、お兄様ままは私をお叱りにななったわ。それれはそれれは怖い顔おををしていらしたた。私ははお兄様まの一挙手一投足ががたまらななく愛おししかった。これれれを全て見ていたいいいと思っていたた。お兄様がが私ししを見てくれれる必要はなかかった。お兄様に恋人とができきて、そののの恋い焦がれれる様子を見るののもたまらななかった。そして思ったたの。おお兄様の一生ううを、お兄様の全ててをを見ていたいとと、そうお思った」

 その結果がストーキングなわけだ……。

 つまりお兄様が殺されて、羽場マヰコの夢は叶ってしまったのだ。

「お兄様まがが谷合谷に恩んを仇で返されれて殺されてててしまうといいう結末はとてても良かっった。谷合谷ややが死体を処理りせずずに置き去りにににしたままま怖くなって逃げげ出したのもも幸わわいだった。私はこの場ででお兄様がが朽ちち果てててゆく姿たををずっと眺めていらられると思ったたものの。お兄様の死死体が腐ってて腐さって匂いをは放ち、変色くしし液化してて蛆じじにまみれてて地にに還り骨ねねになってゆくく姿を想像するるだけでで胸ねが高鳴ったた。これれで本当ににお兄様ののさ最後を見られれるのだと思ったたた。――でもも、それは違がう結末をを迎ええた。あなたたたたち報復屋がが、お兄様を連れれ帰ったかから」

 やはり私たちの行動は全て見られていたようだ。

 しかし問題なのは、なぜ私たちがこの女を見つけられなかったのかということだ。

 私はヨリヱの推察を思い出す。

「アホほど打たれ強くて隠密能力が青天井のウルトラドM女がシヲリにストーカーしてる、というのが現時点でのあたしの見解」

 さすがヨリヱ、ほとんど合ってたっぽい。

 つまり十年間もストーカー行為がバレなかったほど、この女は隠れるのがうまいのだ。羽場様の脳を飲み込んで記憶を読んだとき、羽場様はストーキングされているという自覚もなければそんな考えさえ持っていなかった。

 ヨリヱも私も気付かなかっただけで、当然発信機なんかは埋められていたわけもなく、この女から普通に尾行をされていたのだ。当然、私たちが谷合谷に報復を遂行した瞬間も見られているだろう。

「――もう一度聞く。望みはなんだ、羽場マヰコ」

 すると羽場マヰコは脳味噌半ケツのまま、にたりと笑った。

「私、お兄様ととひとつになりたたいの」

「……うん?」

「あななたの脳食くくを見てピピンときたわ。これだだって」

「…………」

「私の脳髄髄とお兄様の脳脳髄を、脳食食のあなたが食べべたら、ひとつになれると思わわない?」

 わーーーー! この女、とんでもねえこと言ってやがる。ていうかなにその発想こわい。

「いやいやいや、それだと私もあんたとひとつになっちゃうじゃん。良くないよそういうのマジで良くない。愛は二人で育んだ方がいいってマジで」

「別に私はははお兄様ままとと二人きりになるのががが目的じゃないしし、それに私し、あなたのたのことも存外にに好きよ。ストーーーキングしていて気付いたたけれど、あなたかわいいもの」

 そう? ありがとう。とはならない。

 マジかよ詰んだ。どっちもいけるクチかよ。

「いやいや待って待って待って私も二人を一度に中に入れたことないしそんな話聞いたこともないし……そうだ! そもそも羽場様の脳髄がもう存在しないじゃん!」

「お兄様様ままの脳髄なならああるるるるわ」

「え、なんで?」

「谷谷谷合合合谷谷谷に吹き飛ばばされたたおお兄様の脳髄を回収してて保存んしておいたのの」

「…………」

 脳味噌が飛び散っていたけど問題なし、という報告は間違いだった。始末書ものだ。

 ヤバいヤバい。これはマジでヤバい。いま脳味噌を食わされるのは本気でヤバい。逃げられないし吐けないし消化も早そうだしマジでよろしくない。

「は、話し合おう!」

「話し合いならら、あなたたの中でゆっくりりしましょう。お兄様も交じええてね」

 私にさっきまでの威勢はもうない。死んでもいいけど人の性癖のおもちゃにはされたくない。脳食はジョークグッズじゃない。

「今日は良きき日ねねね」と、キカイダー女は前頭部のアクリルをガパりと外した。

 半ケツとか言って悪かったって立派なお脳をお持ちですこと。神様がいるのかどうかは分からないけど、こんな状態でも人間が生きていけるなんて設計が大ざっぱにもほどがある。頭蓋が四半球も残ってると髄膜と干渉してかえって危険な気もするけど、その辺はコオロギ先生がうまくやってるんだろう。

 マジでヤバい。ヤバい、マジで。

 羽場マヰコはポケットから取り出した先割れスプーンをひと舐めすると、私の方へ近づいてくる。

「まずずずはお兄様のの方ううかから」

 そう言うと羽場マヰコは自分の脳髄に先割れスプーンをすっと差し込み、一口大にそれをしゃくった。

 いやいやなんでお兄様の脳からとか言いながら自分の脳味噌を食わせようとしてんのわけ分かんない、脳味噌切ったらそんな区別もつかねーのかよと思ったけど、よく見たら羽場マヰコの脳味噌の一部が、泥を積んだみたいにぐちゃぐちゃになっている。

 おいおいおいマジかよこいつ、自分の切り取った脳の隙間にお兄様の脳味噌を詰め込んでるんだ。

 お兄様の脳髄の乗ったスプーンは、羽場マヰコの脳髄経由で私に近づいてくる。

 私は歯を食いしばり、顔を逸らしながら必死に抵抗する。

「食べててくれないいの?」

 食べるわけねーだろ腐れ脳味噌!

 と言いたいけど口を開けることはできない。

「そう、食べべてててくれないのね、シヲヲヲリちゃん」

 シヲリちゃん言うなマヰコちゃん。マヰコって書くとマンコの伏せ字みたいだな。

 言ってやりたいけどやはり口を開けることはできない。

 首を上下左右に振ってスプーンを避けつづける私だったが、マヰコちゃんはついに強硬手段に出る。

「シヲリちゃゃん、あなたたたの弱点んんん、知ってるるるるのよ」

 そう言うとマヰコちゃんは私の上に跨がった。ちょうど着座ファックの様相だけど、私にペニスはない。マヰコちゃんは痩せ形に見えるけどおっぱいが大きくて圧迫感がすごい。

 私は嫌な予感がした。もちろん脳味噌を食わされる予感だ。

「クスクスクスクスクスクスクスクス、好きよよ、シヲリちゃん」

 マヰコちゃんはスプーンの上の脳髄を自分の口の中に入れると――そのまま、私に口吻をしたのだ。

 舌まで入れられて、マヰコちゃんの口の中にあった脳髄は私の口の中に移され、私とマヰコちゃんの唾液と混ざり合ってぐちゃぐちゃになって、ついに私はそれを飲み込んでしまった。

 キスをされると抵抗できない――いつかのヨリヱとのセックスを見られていたら、確かにバレていてもおかしくはなかったろう。まさかこんな手段が取られるなんて、思いもしなかった。

 飲み込まれた脳髄はやがて、すぐに、私の胃袋に到達した。

 ――俺はことの一部始終を知る。目の前にいるのは俺の妹だ。報復についてはもう終わっているらしいが、妹の手によって俺はまたここに現れてしまったらしい。

 俺は私に悪いことをしたと思う。俺のせいではないが身内の迷惑は申し訳ないが本当に私にとって傍迷惑だ。マジで勘弁してって感じだけど俺に言ってもしかたがない。

 目の前には俺の妹が縛り付けられた私に跨がっている。正直脳味噌が出ている見た目はグロすぎて妹かどうかの判別が難しいが、目元や口元は確かに妹の面影を残している。

「おお兄様まま?」

「……マヰコ」

「ああ……! お兄様ま、お久ささしゅうございまます! マヰコです。不肖の妹、マヰココです。実に十年と二百二十三日ぶりでごございまます」

 私は脳味噌を吐き出そうと思うが、俺はマヰコに会えたことが思ったよりも嬉しかったのだろう、なぜか全く吐き出すことができなかった。俺はあれを妹だと思えるみたいで私はさすがに兄妹らしいと少し感心した。

「おにに兄いい様……お慕いい申し上げげげます。またこうしてて相見えたたことを心よりり嬉れれしく思います」

 表情が明るくなって恋する乙女のような顔になったマヰコちゃんは、自分の胸の谷間に手を入れると、ビニールに入ったなにかを取り出した。

 ……ほかほかの脳味噌がそこにはあった。

「シヲヲヲリちゃんから取り出したあとと、人肌ににに、温たためておきました」

 自分の脳味噌はそっちに入れるのかよ。温めんなよ。

 とは言え、私は本当に二人同時に脳食したことはないし、それでどうなってしまうのかも全く知らない。マヰコの願望が俺とひとつになることだとして、それが実現できるのかは全くの未知数だ。

「マヰコ、やめなさい。俺は私に谷合谷への報復を手伝ってもらった恩がある。これ以上の迷惑はかけたくない。あとマヰコちゃん、私も本当に二人も脳食したらどうなるか分かんないし、俺が残ることができるのかは分からないよ? もちろん、マヰコちゃんが残るかどうかも分からない」

「そう。分からなないななら、やってみるしかかかないわねね?」

「…………」

 マヰコちゃんからすれば、ここでやめる理由はなにもない。俺も死んでいるし、マヰコ自身もすでに脳髄を切り取ってしまっている。私のことを好きだと言うが、それはむしろ脳味噌を食べさせたいくらいの気持ちなんだろう。

 マヰコちゃんは胸から取り出した自らの脳味噌をひとかけら掴むと、いよいよ自らの口に含む。

「クスクスクスクスクス……」

 私は抵抗もできないまま――再びその激しい口吻を受け入れた。

 そして、私の視界は暗転した。




 ――弟の声がする。

「シヲリちゃん、たすけて、いたい、いたいよ」

 弟は腹違いで、母の浮気相手の子供だった。

 その日は雪が降っていた。七歳の私と五歳の弟はアパートで留守番をしている間に、強盗に入られて、ひどい暴力を受けた。

 弟は投げ飛ばされて、私は何度も電話帳で殴られ、骨を折られた。強盗がロリコン趣味じゃなかったのは幸いだったと思う。

 真夜中に入った強盗はとっくにいなくなっていて、私と弟は真っ暗な部屋の中で向かい合うようにして倒れていた。

 弟は畳の上で、間もなく死んでしまいそうだ。強盗から殴られて、どこかに頭をぶつけて、その中身が飛び出していた。

 私は直感的に、弟を私の中で生かしてあげなきゃと思った。

 私は足を折られていて、這いつくばって弟の傍に近づいていく。

「シヲリちゃん、シヲリちゃん……」

「……まってて、メグル」

 弟の側に辿り着いたとき、弟はもう死んでいた。

「メグル、たすけてあげるから……」

 私は這いつくばったまま、畳の上に飛び散った弟の脳髄をかき集めた。畳の目に柔らかい脳髄が詰まり、血が詰まり、気持ち悪かったけど、それを必死で集めた。

 そして私はそれを手のひらにすくうと、必死で飲み込んだ。それでもまだ足りない気がして、畳の目に詰まった脳髄を必死で舐めた。それでもまだまだ足りない気がして、弟の死体に近づくと、その割れた頭に手を突っ込んで、脳髄を掴み出しながら、嗚咽をこらえて必死に口へ運び、飲み込んでいった。

 その全てを飲み込んだあとの記憶は曖昧だ。

 ひとつ確かなのは、このとき私の中には確かに弟がいて、私と弟はひとつの身体を二人で分け合っていたということだ。

 ――これが私の初めての脳食だった。

 それから三日後に私は助けられ、そのときにはもう弟は私の中にいなかった。おそらく弟のことは吐き出してしまったんだと思う。

 なぜ私が三日も放置されていたのかというと、強盗は母も殺していたからだ。母を殺して、アパートの部屋の鍵を持って、私たちを殺しに来た。よく知らないけど、母はお金を持っていたらしい。

「シヲリちゃん、シヲリちゃん……。助けて、痛いよ……」

 私はいまでも時々、弟の声を聞く気がする。

 弟を助けてあげたかったと思う。

「シヲリちゃん、シヲリちゃん、シヲリちゃん……シヲリちゃん……シヲリ……シヲリ――シヲリ!」




 ハッと、私は目を覚ました。

 頭がフラフラとして、意識が混濁している。

 ボスボスと鈍い音と共に、なにかがお腹を何度も打ち付けているような強い衝撃がある。

「シヲリ、シヲリ、死んじゃやだ! シヲリ、シヲリ、シヲリ!」

 ……ヨリヱの声だ。

「ヨッおえっリヱぼぅえっ! たすっえっけっオエッ」

 返事をしたいのにうまく喋れないと思ったら、ヨリヱが私のお腹を何度も何度も思いっきり殴りつけていた。……どうやら私の胃の中のものを吐き出させようとしてくれているみたいだ。

「ちょっぅぇっヨリウェッまっぶもっぶ」

 何度か発声を試みると、ヨリヱはようやく私が目を覚ましたことに気付いたようだった。

「シヲリ! よ、良かったよー、死んじゃったかと思った……」

 ヨリヱは泣きべそをかきながら、いまだに椅子に縛り付けられたままの私を抱きしめてくれる。ありがとう、私はあんたに殺されるかと思ったよ……。

 私はクラクラとしたまま、あたりを見渡す。

「……マヰコちゃんは?」

「マヰコちゃん? ああ、あのふんわり美脳ヌードの子なら、気絶させて会社に連れて行かせたよ。尋問したいこともあるから殺してない。殺しそうだったけど」

「そう……。ヨリヱ、助けにきてくれたのね、ありがとう。……ごめんね、私が殴ったとこ、傷になってない?」

「大丈夫だよ、それより自分がこんな時なのにあたあたあたしのししし心配をしああーーーーー! あーーーーーっ! んあーーーーー!」

「……人がリアルに昇天しそうなときに昇天するのはやめてくれる?」

「うう、嬉しくて……。シヲリに殴られて傷付くなら本望だよあたしは。シヲリがピンチなら火星にでも追いかけるからね」

「クスクスクスクス、あんたなら本当にきそうね」

「……シヲリ、大丈夫?」

「見ての通り最悪よ。俺としたことがこんなことになるなんて、妹のことを月の晩まで墨汁を見ていたい」

「まだ全部吐き出せてない?」

「なにを?」

「脳味噌」

「え、なぜ? 僕なにか変なこと言ってるとは思いたい?」

「…………」

 なぜか、ヨリヱの表情が曇った。

 アタシはなにか変なことを言っているようだ。




 そうして私は椅子に縛り付けられたまま車に乗せられた。

 やがて意識が明瞭になるにつれて、それは自分でも知覚できた。わたしの中に俺も僕も私もあたしも拙僧もそれがしも小生もあらゆる人格が明滅するフラッシュのようにチカチカと入れ替わっている。

 記憶は私だけど俺の記憶も私の記憶も僕の記憶もあるし昨日食べたラザニアの水族館へ行ったときに殺されたカブトムシは混濁していて私は別の意味で私をどうするのか逃げ出したい。

 俺はようやく椅子から解放されたがおぼつかないビーチサンダルの下から炊けた壁紙を替えるのを憶えている。

「コオロギ先生、シヲリが変になっちゃったんです!」

 ヨリヱは変わらず湖の上は片方の靴下まで泣きべそをかいたまま、すぐにコオロギ先生の竜巻よ病院へ私の放り込んでいた。私は僕がおかしなことに気付いているけれど、緑化対策の吹き抜けはそれを上手に説明して欲しい。

「先生、俺、なんか変なの。いろんな私が次々とやってきては消えて、僕は消えたくないです、でも悪いやつは消してやるなら、私はどうにかしてしまったみたい」

 アタシの言ってることがティッシュケースに半田ごてなら、コオロギ先生はいつになく真面目な顔ばかりでコンパクトな方はヨリヱに尋ねてきた。

「……ヨリヱさん、シヲリさんになにがあったの?」

 どうやら自分でスイカの種をかゆくないようの人々であれば、ぼくは二人の会話の行く末を見守ることにした。

「あの、あたしもまだ詳しくは分からないんですけど、二人分の脳味噌を食べさせられちゃったみたいで……」

「なんてことを! ……脳髄はまだ胃腸に?」

「た、多分全部吐き出させたと思います」

「そう……いまシヲリさんに起きているのは魂のフラッシュバックよ」

「えっと、なんですかそれ?」

「脳食者は脳を食べて人格と記憶を憑依させるでしょ? あれはおそらく、保存された魂を食べていると考えられるわ」

「それは……なんとなく分かりますけど、でも全部消化する前に吐き出してるはずです。今回だって一時間以内にシヲリを助け出しました」

「脳髄を消化するというのは、つまり人格と記憶を肉体に定着させるということなの。吐き出させるのは、それを止めるため。でも定着こそしないけど、憑依は行われているでしょ? つまり憑依している間にシヲリさんの脳が知覚した他人の記憶や人格――魂は、シヲリさんの中に少しずつ蓄積されているの」

「それが今回、こんな風に意味分かんないことをたくさん言ってる感じで出ちゃったんですか?」

「おそらくは……。二人分の脳を食べてしまったことで、魂を過剰に呼び出してしまっているのね。先生も過去にフラッシュバックが起こった脳食者を診たことがあるけど……これは脳に強い負荷がかかったり、脳食のしすぎなんかでも起こり得るのよ。もちろん滅多には起きないことだけど」

「先生、あの、その、確認したいのは、つまりシヲリは治るんですか? 一生このままなんてことはないですよね?」

「そうね……健康状態に異常は起きないけど、このままだと、自我が崩れて廃人になる。一生このままではなくても、死んだ方がマシにはなるかも知れないわね」

「そんな……! じゃあ、シヲリが治る見込みは……」

「いいえ。この状態――ひいては脳食者特有のショック症状を治す方法が、ひとつだけあるわ」

「本当ですか!」

「でも……あまりおすすめはできないのよ」

「それでもやらなきゃシヲリは廃人です!」

「そう、そうよね……」

「…………」

 先生は少し待ち時間の靴はかかとまで三十秒で、ワシの方を向くような建築は北側で、真剣な面持ちで言った。

「シヲリさん、これはあなたが選択しなきゃならないからよく聞いて。シヲリさんを治す方法っていうのはね、つまり……脳を、食べるの。そして吐き出さないで、ちゃんと消化する」

「…………」

「そして食べるのは――シヲリさん、あなた自身の脳よ。あなたの魂を、あなたの魂で上書きするの」

 なるほど。

 さすがに脳味噌の中も全員が黙った。




 さて。

 結論から言うと、私は自分の脳を食べることを選択した。

 私はその日のうちにコオロギ先生からトレパネーションよろしく額に穴を開けてもらい、そこから大さじ二杯ほどの自分の脳髄を取り出された。前頭葉のあたり、マヰコちゃんが羽場様の脳を詰め込んでたあたりだ。額に開けた穴はゴルフボールくらいあったけど、私はそれを塞がないことにした。

 それから手術後に麻酔から覚めて、私はすぐさまその脳髄をスポーツ飲料と一緒に飲み込んで、気を失うようにしてまたすぐ眠りについたのだった。

 ――そして病院のベッドの上で目を覚ますと、ヨリヱが私のお見舞いのシャインマスカットを食べていた。

「ほ、ほはほう、ヒヲイ!」

「……おはようヨリヱ。とりあえず飲み込んで」

「ほぁい」

 どうやら私は無事に自分の脳を消化したらしい。

 えらいもので、脳の一部を切り取ったなんて、いまは微塵も感じない。

 シャインマスカットを飲み込んだヨリヱが、心配そうに私のことを見る。

「シヲリ、大丈夫? 具合はどう? あたしのこと分かる?」

「大丈夫、分かるよ。アクメの大先生でしょ」

「良かった、手術は成功だったみたいね」

 ヨリヱが安堵の表情を浮かべ、私はようやく自分の無事を確認できた気がした。

 私はなんとかベッドの上で体を起こしてみるが、まだ頭がグラグラしている。

「シヲリ、無理せず寝てていいよ」

「いやなんか、寝てても体がだるくて」

 頭を支えると額には包帯が巻かれている。髪の毛は剃られなかったみたいだ。額に開けられた穴にはなにか硬いものを当てられて、保護されていた。

「私も額の処女膜破られちゃったな……。トレパネーションすると、なにかに目覚めるとか言うよね」

「へー、なんか不思議な感覚でもある?」

「どうかな。今のところは、特になんにも。脳味噌ちょっとなくなったけど、なにが分からないのかも分からないくらい」

「そっかー」

「セックスしてみる?」

「んーん、コオロギ先生が、シヲリのことはしばらくは絶対安静にさせなさいって。これを機会にセックス依存症を治した方がいいって言われちゃった」

「マジか」

「うん。でもいつか絶対コオロギ先生を入れて3Pしようね」

「それ賛成」

 先生、こっちの方は治りそうにありません。

 私たちはセックスこそしないものの、少しだけ口吻を交わす。それは二度三度、唇で触れ合うだけの優しい口吻だった。

 マヰコちゃんからあんなことをされてキスがトラウマになってたらヤだなと思っていたけど、それは杞憂のようだった。あるいは脳を切り取って、そんなことは都合良く忘れてしまったのかも知れない。

「はやく元気になってね」とヨリヱが微笑む。

 ヨリヱがいつも通りで助かったし、ヨリヱが傍にいてくれて良かったと思う。単なる仕事仲間じゃ、こんなに親身にはなってくれなかったろう。死んだらそれまでの世界なのだ。

「ありがと、ヨリヱ」

「いいんだよ、シヲリ」

 口吻のあと、ヨリヱが私の額をそっと撫でる。

「元気になったら、こっちの穴も見せてね」

「……なにか変なもの突っ込んだりしないならいいよ」

「それは残念」

「おいこら」

 ――マヰコちゃんじゃあるまいし、さすがに冗談だろう。

 いくら切り取っても無事だったとは言え、ペニバンで突かれて無事でいられる脳ではないのだ。

 それから。

 私は二週間後に退院して、しばらく休養してから現場復帰することになった。

 あんなことがあったから、社長はもう多額の退職金付きで私を引退させてあげたいと思っていたみたいだけど、無理を言って仕事に戻らせてもらうことになったのだ。

「んふ、シヲリちゃん。脳食はね、とても度し難いものなのよ」

 退院後に出社した私に、社長はそう話し始めた。

「脳食者は、やがて脳食に溺れるわ。それはつまり、脳食は脳食がなければ生きていけないって、そういう風に思ってしまうということなの。他人の気持ちが読めたり、あるいは死んだ人を現に呼び戻したり、そんなことができてしまうから。あるいは溺れなくとも、その能力を良いように使われて、使い潰されてしまうこともある。わたしはね、そんな脳食者だからこそ、最後にはまともな生活を送って欲しいと願ってるの。だから一定の働きをしてくれた脳食者には、独り立ちできるくらいのお金をあげて、この会社を出て行ってもらっているわ。ましてシヲリちゃんみたいに危険な目にあってしまうこともあるから、そういうときはすぐにでもこの仕事を辞めさせたいのよ」

「……それは、私にはもうこの仕事をやらせたくないということですか?」

「違うわ。あなたの人生を守るのも社長の務めという話よ」

 社長は優しい。従業員のことを一番に考えている。ブラック裏稼業の中ではホワイト経営者だと思う。顔の怖いオカマだけど。

「シヲリちゃん、今回はあなたの復帰を認めるわ。だけど、もう次はないからね。次にあなたにショック症状が出たら、大人しく引退して、楽しく真っ当な生涯を送ってもらうから」

 ――辞めた方が良かったかな?とは思わなかった。

 社長の気持ちは嬉しいけど、私はこの仕事を気に入っているのだ。

「ありがとうございます、社長」

「んっふ。ともあれ無事で何よりよ。無理せず、これからも元気に報復代行をお願いね、シヲリちゃん」

「はい、がんばります」

 社長は顔が怖いけどいつもニコニコしていて、私もつられてニコニコしてしまう。

 さて挨拶も終わったし、まだ療養期間中だから帰ろうかと思ったところで、社長が別の話を始める。

「そうそう、ところでシヲリちゃん。今度新人の脳食者を雇いたいと思ってるの。それでちょっとシヲリちゃんに相談したくってね」

「あ、そうなんですか? 私も数ヶ月は派手に動けないみたいなんで、その間に業務を補間してくれる人がいるなら嬉しいです」

「そう言ってくれると助かるわぁ。いま呼ぶから、ちょっと待ってね。んふふ、シヲリちゃんには刺激が強いかも知れないんだけど……」

 社長が受話器を取り内線で誰かを呼びつけると、間もなくして社長室のドアが開いた。

 入ってきたのは一人の女だ。

 しかし私はその女を見て、さすがに言葉を失う。

 目の前にいる女は淑やかに頭を垂れた。

「ごご紹介にあずかりかりかりました、ごごご存じ羽場マヰコでです。よろしくね、シヲリリリリちゃんん」

 カツラを新調してキカイダーから女の子に戻ったマヰコちゃんがそこにいた。

「紹介するわね、シヲリちゃん。脳食者の羽場マヰコちゃん。ご存じの通り、あなたをひどい目に合わせた張本人よ」

 しばらく行動不能に陥ったが、どこかに飛んでいきそうな思考を無理矢理引っ張り戻すと、私はさすがに社長へ詰め寄った。

「どどどどういうことですか社長!」

 社長はニコニコと笑ったまま答える。

「んっふふふ。実はあのあとマヰコちゃんのことを尋問したり、検査したり、いろいろ調べてたんだけどね、どうやら脳食者であるということが判明したのよ」

「………そ!」れは! マジかよ!

「シヲリちゃんがね、最初にマヰコちゃんから体を乗っ取られたって言ったでしょ? わたしも伝聞でしか知らないんだけど、脳食者同士は魂の相性が悪いみたいで、お互いが憑依すると今回のシヲリちゃんとマヰコちゃんみたいに体の奪い合いが起きるんですって。マヰコちゃんは脳食者の自覚はなかったけど、本能的に体の支配の方法が分かったみたいなの。脳食者としてはとても優秀ね」

 待って待って。病み上がりだからか分かんないけど思考がもうひとつ追いついてないよ。え、マヰコちゃんのこと雇うの?

「え、でも、あの、え、あの、そうだ! マヰコちゃんは会社に損害をもたらしました! そこんとこどうなんですか!」

「そうねえ……。シヲリちゃんとのことについては、それぞれわだかまりが残るかも知れないけど、邪魔をされてしまったシヲリちゃんとヨリヱちゃんの仕事――薬玉様の件については実力によって謝罪、補償してもらったわ」

「補償?」

「試験としてヨリヱちゃんに薬玉様の報復代行をお願いしたの」

「うおお、大胆経営……」

「結果は上々、攻撃的な身体能力についてはあまり期待できないけど、打たれ強さと隠密能力には舌を巻いたわ」

「…………」

「シヲリちゃんがいいなら、ぜひうちに来て欲しいと思ってるんだけど、どうかしらねえ?」

 社長が優しい現実主義者なのかゴリゴリのイカれサイコパス野郎なのか時々分からなくなる。多分後者だ。

 ヨリヱはこの話を知っていたのだろうか。

「……うちの相棒はなにか言ってましたか?」

「んふふ。『絶対反対です!』って最初は言ってたけど、シヲリちゃんとの療養旅行をすすめたら、快く受け入れてくれたわ。臨時ボーナスも出たみたいだし」

 あの腐れマンコ、懐柔されてんじゃねえか!

 でも腐れマンコと旅行か、悪くないな。

「分かりました社長、偽装パスポート二冊で手を打ちましょう」

「んっふ、話が早くて助かるわぁ」

 私はどっちかと言えば現実主義だし、サラリーマンだし、上の人には逆らわないタイプだ。複雑な気持ちだけど私がしばらく働けない以上、新しい脳食者をみすみす逃す手はない。

 こうして私を大ピンチに陥れたマヰコちゃんは、無事に我が社の一員となった。

「マヰコちゃん。あんたが私をピンチにしてくれたおかげでヨリヱと二人、オランダのスケベニンゲンにあるヌーディストビーチに行けそうだから、いままでのことはチャラにしたげるわ。……よろしくね」

 私はマヰコちゃんに手を差し出す。

 マヰコちゃんは私から差し出された手を握り返し、そっと淑やかに笑う。

「クスクスクスクス、良かったわわシヲリちゃん、いままままでいろろいろとごめんなさい。こちちらこそよろろしくねねね」

 マヰコちゃんは目がどこかにイッてるけど会話はできるしおっぱいも大きいし私のことも嫌いじゃないっぽいからそのうちセックスもできるだろう。昨日の敵は今日のセフレのなんとやら。なかなか乙なもんですね。

「さて、顔合わせは済んだわね」と社長は話を切り替える。「二人をここに揃えたのはね、話しておきたいことがあるからなの」

「私たちにですか?」

「んふ。二人にこそ聞いておいて欲しいのよ。――まずマヰコちゃんね、人の脳の中で別の誰かと一緒になろうと考えたあなたは、あるいは正しかったと思うわ」

 正しいのかよ。私は廃人になりかけたぞ。

 しかし社長はいつになく物憂げな表情をしている。

「……実はわたしもね、脳食者なのよ。他の人には内緒よ」

 社長は懺悔のようにそう言った。

 そうか社長も脳食なのか。意外だけどなんか納得できるところもある。

 こんなに私たちに優しいのは脳食者だからなんだなと思ったけど、でもなんか違和感がある。なんだこれ。

 ……あ。

「あの、脳食者って女性だけしかいないんじゃ?」

「んっふ、そうよ」

「え? ……えっ!」

 ――なんてこった。

 社長は女っぽい男じゃなくて、オカマっぽい女だったんだ。マジかよ。女ならセックスの守備範囲じゃんか。社長とセックスか、いまいちピンとこないな……。

 社長は私の驚きようを放っておいて、マヰコちゃんに向けて言う。

「さてマヰコちゃん、脳食者と判明したあなたなら、お兄さんの脳を食べようと考えたんじゃない?」

「…………」

「シヲリちゃんにあんなことするくらいだものね。大好きなお兄さんとひとつになりたいという気持ち、痛いほど分かるわ。――でもねマヰコちゃん。それは絶対やってはいけないことよ」

 当たり前のことを言っているように聞こえたけど、マヰコちゃんにとってはとても信じられないことだったのだろう、そのイッちゃった目でギロリと社長を睨みつけた。

「どうしして?」

「それが脳食の度し難いところよ。脳食者は意識的にも無意識的にも死者を自分のものだと思っている。――わたしもそうだった。わたしも死者を生かそうと、その脳を食べたわ」

「…………」

「わたしはね、夫の脳を食べたのよ」

 ――社長の話はこうだ。

 昔、社長は私のような報復屋で、夫と共に仕事にいそしんでいたらしい。しかしあるとき、仕事のミスで夫は帰らぬ人となった。そこで社長は、自分の中で夫を生かし、一生を添い遂げようと、夫の脳髄を全て食べたのだと言う。

「脳食の二人なら分かると思うけど、脳髄を食べて人格を憑依させたら、自我と他者の境界が曖昧になるわ。憑依の直後から数日間は、曖昧であれ自我と他者に区別があるけれど、しかし曖昧な境界で存在していたふたつの人格と記憶は、やがてゆっくりと溶けて混ざり合い、ひとつになってしまう」

「それれここそが望ぞみみよよ」

「違うわ、マヰコちゃん。混ざり合った人格は、もはや誰でもない。マヰコちゃんでなければお兄さんでもない。わたしでもなければ夫でもない。記憶さえも混ざって自分なのか夫なのかも分からない、曖昧な自己同一性を入れた肉の器がわたしなのよ。誰かとひとつになるということは、あなたが思っているほど甘美なものではないの。常に曖昧で誰なのか分からない自分自身と向き合う必要がある」

「…………」

「羽場灰太様の脳髄はこちらで保管してある。これからあなたが脳食者として働き、脳食を深く理解しても尚お兄様と一緒になりたいと言うのなら、それを止めることはできないわ。その時は脳髄をあなたに渡しましょう。でもあなたがここで脳食者として働くのなら、この誰でもないわたしのために、少しの間だけ我慢してちょうだい」

「……わかかったわわ」

「んふふ、良い子ね、ありがとう」

 社長は話し終えると、またニコニコと微笑んだ。

「二人にはいつか必ず、脳食に頼らずに生きる道を選んで欲しいのよ。そのためにも二人は、自分を忘れないでいてね」

 私にとって社長はエルフの村に強襲をかけて子供を連れ去り売り払う成金ゴブリンのボスみたいな顔をした優しいオカマで、それこそが社長の個性だし自己同一性なのかと思っていたけど、社長の中でのそれは自己同一性が崩壊した結果だった。

 自分が何者か分からなくなる、なんて言葉のうえではよく聞くけれど、そんなものは本質の意味が違うのだろう。本当に自分自身が消えてしまえば、生きるも死ぬも同じことのはずだ。

 社長はどうして生きていけるのか。気になったけど、なんだか怖くて、それは聞けなかった。

 私たちは身につまされる思いをして、社長室をあとにした。




 ――しばらくぶりの長期休暇だ。

 社長室での緊張をほぐすように背伸びをしながら会社を出ると、すぐにヨリヱのジュリエッタが私に寄ってきた。ヨリヱはいつもタイミングがいい。

「おっす、迎えにきたよ、シヲリ」

「おすおす、センキューヨリヱ」

 私がジュリエッタの助手席に乗り込むと、車はあてもなくどこかへ発進する。

 それじゃあ、ヨリヱと旅行の計画を立てなくちゃ。

「ねえ旅行はどうする? 私はオランダに行きたいんだけど」

「あー、ヌーディストビーチでハッパやる感じね」

「さすがヨリヱ話が早い。私は大麻はやんないけど」

「あたしもやんない。でもヌーディストビーチって別に性の社交場ってわけじゃないみたいだよ」

「え、そうなの?」セックスしまくりの世界じゃないのか。「……まあ外国の素人美女の裸が見たいだけだし、しばらくセックスは控えなきゃだからいいんだけど。ヨリヱは他に行きたい場所とかある?」

「そうねえ、台湾とかかなー」

「近場じゃん」

「檳榔売りの子とお近づきになりたくて」

「あー! それ分かる」

「でもヌーディストビーチもいいなー」

「じゃあ私が万全になったらセックスできるヌーディストビーチを探そう。あるかどうか知らないけど」

「あ、それいいかも」

「最悪テキトーなビーチでこっそりやろう。今回は台湾に決定」

「うんうん。あたしいろいろ調べとくね、ご飯とかホテルとか」

「やった助かる」

「まかせといてー、あたしが最高の旅行プランを組み立ててあげるからね」

「こういうのはヨリヱの方が良い仕事するからね、期待しとくよ」

 ヨリヱは得意げに「シヲリとの楽しい休暇だからね」と微笑む。ヨリヱのこういうところがかわいいと思うし、いまめっちゃセックスしたい。

「セックスしたい」

「ダメだよシヲリ、病み上がりなんだから」

「逆にあんたはよく平気ね」

「あたしはほら、いつでもイけるから、ある程度はね」

「でも最近イッてるの見てないよ」

「近頃、態度に出さずにイけるようになったの」

「マジかよ。スパイアクメじゃん」

「いまもイッてるし」

「こいつ、別の形でセックス依存症を克服しやがった……」

 まあオーガズムがセックスのゴールというわけじゃないけど。

 ヨリヱがセックスしなくてもなんとかなってるのを見て、私はなんか不安になった。ヨリヱほど私と相性の良い女はいないし、私のことを好いてくれる人も……まあマヰコちゃんとかいるけど、私自身も好きだと思える人は少ない。私もいまは体力が追いつかないという理由でセックスへの欲求もほどほどに抑えられているみたいだけど、これが回復するとして、果たしてヨリヱは私とセックスする意味があるのかと思う。

「ねえヨリヱさ、話は変わるんだけど……もし私がいまの仕事ができなくなったり辞めてりしても、一緒に旅行とかセックスとかしてくれる?」

「え! シヲリ仕事辞めるの? じゃああたしも辞める!」

 即答とは恐れ入った。あんまり返事が早かったので、私は思わず笑ってしまう。

「例えばの話よ。社長にも心配されちゃったしね。社長が言うには、いつか私たち脳食者には真っ当な生き方をして欲しいんだって」

「へー、社長がそんなことを」

「私にも脳食以外の道があるのかなって、ちょっと思って」

「あるある。シヲリは頭もいいし仕事もテキパキするし、かわいいからね」

「褒めて伸ばすタイプ……とは言えこの仕事は気に入ってるし、当面は辞めるつもりもないよ」

「そっか。あたしは正直、いまの仕事は自分に向いてるしお金もたくさんもらえるからやってるだけだもんね。シヲリと一緒にいたいから、シヲリが辞めるならついてくよ」

「へえ、私がレズ風俗に行っても?」

「働きやすいようお店を建てるよ」

「デイトレードで生きていこうとしても?」

「相場を操ってみせるよ」

「ニートになったら?」

「あたしにお味噌汁作ってベビードールで待ってて」

「なんだよ私のこと大好きかよ」

「まあね。……なんだか今日は感傷的だね、シヲリ」

「そう? そういう日があってもいいでしょ」

 私はこの仕事をしていて、長生きなんてできないだろうと思ってた。でも今回いろんなことがあって、自分の脳味噌を食べてでも死にたくないと思ったんだから、やっぱり私は長生きがしたいんだろう。

「ねえヨリヱ」

「なあに?」

「この仕事を将来辞めることになったらさ、そうね……例えばブラジルにでもいってテキトーな仕事でもしながら、夕方になったら家に帰ってお酒飲んで、近所のバーで飲んだくれとケンカしたり、夏になったらカーニバルを見ながら、あの子は胸が大きいとか、あの子はおしりが大きいとか言いながらさ、それをヨリヱがナンパして玉砕して有り余った性欲で私のことをベッドでめちゃくちゃにしてさ、なんかそういうヨリヱもかわいいなんて思いながら、そのうち体力とかおちちゃって、二人ともおばちゃんになって、更年期でイライラしてケンカとかして、若い子につまんない説教してたら、今度はいつのまにかおばあちゃんになっててさ、ゆっくりカーニバルを見て、変わらずあの子のおっぱいはあんたより大きかったとか小さかったとか、つまんない話をしながら、なんか、そういう風に生きて、死んでいきたいもんだね」

「え、シヲリ、その長すぎる具体的な人生プラン的なそれって一生添い遂げる的なあのププププロポーァアーーーーー! んんーーーーー! あーーーーーっ!」

「……ねえ、人が感傷に浸ってるときくらい不感症になってもらってもいい?」

「しゅ、しゅてきすぎる、シヲリあいしてる……」

「運転、前見て」

「ひゃい……」

 はい。ヨリヱが盛大にイッたところで、この話はお開きだ。

 私たちはそれから結局我慢できなくなって路肩に車を止めてセックスして、よく行く定食屋の唐揚げ定食でご飯を三回くらいおかわりして買い物に行ってトイレの中でセックスして、駐車場に停めてた車の中でセックスして、ホテルに休憩で入ってセックスして、帰りに穴場の山に夜景を見に行って車の中でまたセックスした。

「な、なんか今日めっちゃすごい、めっちゃ感じる。久しぶりだからかな……ヨリヱ私になにかした?」

「えー、してないよう。あ、トレパネーションの影響じゃない?」

「ふおお……感じる穴を増やされてしまったぜ……」

 こいつはコオロギ先生とマヰコちゃんに感謝かな。

 倒した助手席でぐったりしてると、ヨリヱが覆い被さってきて、最後に優しく口吻をしてくれる。いつもセックスの中のぐっちゃぐちゃなキスしかしない私たちにはなんだかそれが照れくさくて、お互いちょっと裸なのもなんだか恥ずかしくなって、私たちは半ニヤケでそそくさと服を着る。

 そして服を着てから改めて口吻を交わすと、ああ、私も結構ヨリヱのこと好きだな、なんて思った。

<おしまい>

0 件のコメント :

コメントを投稿