――砂糖と香辛料が混じり合うとき、そこに女の子が生まれる――
このブログは立談百景による「少女」をテーマにした小説を掲載しています。

2013年11月7日木曜日

【小説 / 宇宙少女シリーズ】 ロンリー・ロープウェイ・サービス [The Roopeway Services]

【あらすじ】
愛は時々、永遠だと言われる――。
十七歳の私が車掌を務めるロープウェイには誰も乗ってこない。私は家の近所の空き地から火星まで、ほとんど毎日朝夕一往復ずつの便でロープウェイを運行している。しかし火星には誰の家も学校も会社もなく、あそこはただ赤土の大地が広がった寒い惑星なのだから、わざわざ足を運ぼうなんて物好きな人は滅多にいなかった。


【概要】
ジャンル:SF(すこしふしぎ)
原稿用紙枚数:50枚
読書時間目安:30~40分
初版脱稿:2013年5月21日
加筆修正:2013年11月6日

【初出】
Twitter(@Tachibanashi)
この小説は「角川Twitter小説コンテスト」へ投稿したものに、大幅な加筆修正を加えたものです。





ロンリー・ロープウェイ・サービス [The Roopeway Services]


 十七歳の私が車掌を務めるロープウェイには誰も乗ってこない。私は家の近所の空き地から火星まで、ほとんど毎日朝夜一往復ずつの便でロープウェイを運行している。

 しかし火星には誰の家も学校も会社もなく、あそこはただ赤土の大地が広がった寒い惑星なのだから、わざわざ足を運ぼうなんて物好きな人は滅多にいなかった。あの惑星に人を連れて行くのなら、もっと全体を暖めないとだめだろう。


『まもなく火星、火星です――』


 火星について、機械アナウンスを流す。そのまま5分待って、地球にUターンする。これは決まり事だ。決まり事を守って、仕事をして、そうして初めてお金がもらえる。

 私は地球に戻るとゴンドラのエンジンを止めて、その足で学校へ向かう。

「火星になんて誰も行かないでしょ? もうやめればいいのに。」

 いつも遅刻間際に学校へ来る私を見て、友人のアヤはそんなことを言う。

 私もやめたいとは思っているけれど、そのためには自分で誰かを探して、その人に後釜を任せなければいけない。しかし残念なことに、ロープウェイの運行をしたがる人は滅多にいないのだ。それはこの仕事をやっている私がよく知っている。なぜならこの仕事は、永遠のような時間を過ごさなくてはいけない。長い長い時間をロープウェイのゴンドラの中で過ごさなくてはならない。朝は早起きだし、夜は家に帰るのが遅くなる。正直に言えば、学生の身分でやるには結構きつい仕事だ。それに運転手は、火星につくまで運転席からほとんど身動きが取れない。ゴンドラは基本的に自動運転だけど、これも決まりだ。仕事内容の割りにはお金になるけど、思っているよりも時間の浪費を味わうことになる。人間が人間の速度で火星に行くというのは、とてもとても長い時間が必要なのだ。

 広大な宇宙に張られているロープと、それを伝うロープウェイの中の私は、ひどく点としている。ロープウェイの中で身じろぎせずに暗闇を進む私は、まるで張り詰めた糸を伝う水滴のようだ。いつか何かの弾みで、この水滴はこぼれてしまうのではないかと思う。私の存在感はそれほど不安定になっている気がする。

 ロープウェイの窓はパノラマに景色を広げ、真っ暗な宇宙空間は本当に空っぽに見えてくる。遠くに見える星々の光やなんかは書き割りのように疑わしくなっていく。しかしこのロープウェイはちゃんと火星と地球を往復するのだから、つまり宇宙はきちんと存在しているのだろう。ぽつりぽつりと、まるで私のように小さな星々が点々と、真っ暗な空間に浮かんでいる。私たちのような物質の最小単位は素粒子なのだと言うけれど、素粒子のように小さなつぶつぶが集まって私になっているのなら、あの空間に浮かぶ孤独な星々を集めれば、私にだってなるのかもしれない。ひとりぼっちで寂しい思いをしているのなら、いっそこっちまで来てくれればいいのに、なんてことを思う。孤独を分かち合えるならそれがいいと思う。素粒子が孤独で、孤独の集まりが私なら、それもできるのかもしれない。それでもそうはならないから、私はずっと孤独なままだ。

 ロープウェイは揺れる。

 ゆっくりとゆっくりとその身を風に任せるようにロープウェイは進み、私はそのゆったりとした揺れの中で、私はいろいろなことを考える。学校のことを考える。宿題のことを考える。来年の受験のことを考える。アヤと駅前にできたジェラートを食べる約束を思い出す。体重計のことを思い出す。こないだの体育祭で応援団をしていた河合君のことを思い出す。私は河合君のことが好きなのかもしれない。でも男子バレー部の河合君は、女子バレー部の主将と付き合ってるらしい。河合君と私は、少し話したことがあるくらいの関係で、私の恋は始まりすらしない。幼稚園の頃、同じ組の「くじゆうすけ」君のことが好きだった。あれが恋する感覚だったとすれば、私の恋は今のところ、きっとあれだけだ。人を好きだなんていう感覚を、私は知らないのではないだろうか。好きだったり好かれたり、愛したり愛されたり、恋したり恋されたり、なんか難しいことだなと思う。

 ロープウェイの中は空っぽで、私はただ運転席に座っているだけなのに、何かに足を取られて転けそうになる。考えたくないことを考えてしまう。考えなくてはいけないことから遠ざかってしまう。はやく家に帰りたい、と思う。


『まもなく火星、火星です――』


 私は思考を止めて火星の方を見る。赤い大地が私の方を見ている。停車スイッチを押して、ゴンドラを停めなくてはいけない。

 ――しかしその時、私は考え事をしていて、操作を誤ってしまった。

 緊急ブレーキこそ動作したものの、ゴンドラは停まらず、そのままワイヤーから外れ、頭からのめり込むように火星の土の上に落ちる。強い衝撃が体を浮かせ、私は尻餅をついた。私はどうにかゴンドラから這い出て、火星にあごをつけたロープウェイのゴンドラを見る。お尻だけを持ち上げるような形でぶら下がったゴンドラは不安定に揺れて、私には戻せそうになかった。

 ロープウェイは本来、ゴンドラそのものに動力を持たない。火星の駅に動力となる装置があって、そこからロープを引き上げてゴンドラを動かしている。しかしこのゴンドラの場合は少し特殊で、火星と地球の果てしない距離を航行するのに、ゴンドラについたエンジンを、一部動力として使用しているらしい。

 いずれにしても、私はゴンドラを直すことができない。駅の詰め所から機械アナウンスが流れる。


『ただいま緊急停車中です。係の者がくるまでしばらくお待ち下さい――』


 ロープウェイの不調はすぐに管理会社の方に知れただろうから、やがて緊急用のゴンドラがやってくるだろう。私はその少しのあいだ、この何もない火星で過ごさなくてはならない。

 私は駅舎を出てすぐのベンチに腰掛ける。鞄からiPhoneを取り出すが、表示は圏外だ。圏外になる前にアヤからのLINEを受信していたらしいのだけど『今日の現国って資料集いるっけ?』という質問に、私は返信ができない。

 目の前に顔を向ける。火星には草も生えない。風も吹いている。地面の赤と空の青だけが色彩で、セーラー服にカーディガンでは肌寒い。大気が薄いから、自分の足音も小さくおぼつかない。大きく叫んでも、ほとんど何も聞こえはしない。

 地球よりも重力が小さくて、歩いても少しふわふわとする。自分の存在感が少し薄くなり、不確かになったように思う。火星の大気や重力は人間に適していないのだろう。あるいは地球の重力や空気の比重が人間に適しているのなら、それが自分の確かさを証明しているのかもしれない。

 火星の上は孤独だ。ここには生命がいない。NASAのオポチュニティだけが、いまもどこかを走っているだろう。けれどこんな場所に、人はこない。誰もロープウェイには乗ってこない。それはやはり、ここに誰もいないからだ。

 だからはやく、家に帰りたいと思った。


『ただいま緊急停車中です。係の者がくるまでしばらくお待ち下さい――』

『ただいま緊急停車中です。係の者がくるまでしばらくお待ち下さい――』


 数ヶ月と少し経ってから、ようやく緊急用のゴンドラが到着する。それはほんのわずかな時間だったけれど、ゴンドラを往復させるあの孤独よりも、ずっとずっと永い時間だったように、私には思えた。

 緊急用のゴンドラを覗いて見ると、中には誰も乗っていなかった。メンテナンスはロボットが行うらしい。私は緊急用のゴンドラに乗り込み、地球へ帰った。学校には少し遅れたけれど、先生に事情を話すと分かってもらえた。アヤは資料集を忘れていた。




 そして翌日、私は仕事をクビになる。

 でもそれは当然のことだろう。私は大変なミスをおかした。乗客の乗ってこないロープウェイではあったけれど、それでも人の命を預かる大切な仕事なのだ。それなのに仕事をクビになったことをお母さんに話すと「今年は受験なんだし、潮時だったのよ」と言うし、アヤも「ちょうどよかったじゃん」と肯定的だ。私も朝はもう少し長く寝ていられるようになったし、学校帰りに友達と寄り道する余裕もできた。結局これでよかったのかもしれないと、私も少しずつ思い始める。

 私はそれでもロープウェイのことが多少気がかりだったので、時々空き地へ様子を見に行っていた。ロープウェイの修理は一週間くらいやっていたけれど、修理が終わってからは、乗務員募集のチラシが張り出されていた。やはりどうやら、私の後釜は見つかっていないらしい。乗務員がいないあいだは、ロープウェイも運休しているようだ。

 私はそれからも折りを見ては空き地を訪れていたけれど、乗務員はいつまでも募集中で、ゴンドラは埃を被っていた。それから更にしばらくすると、私も受験勉強が本格的に忙しくなり、多少気がかりではあったけれど、冬になる頃にはロープウェイのことも、心の隅で埃を被っていた。

 三年生になると時間は加速度的に過ぎていって、何か大事なことを忘れたような気がしながら、冬が終わり、春が来て、私は無事に大学へ合格し、お母さんが喜んで、新しい生活が始まる。アヤとは同じ大学に入ったけれど、学部が違うから、前よりは頻繁に会わなくなった。けれど仲良くしているし、休みの日はよく一緒に遊んでる。共通の友達もできたし、みんなで同じサークルに入ろうなんてことも考えてる。私は伸びた髪を少し明るくして、パーマを当てた。

 大学生活はいい感じにスタートを切って、いろいろと順風満帆に思える。私は相変わらず何か気がかりなことがあるけど気づかず、元男子バレー部の河合君と同じ学部だということに気づいて、また気がかりを忘れてしまった。

 河合君はうちの高校のバレー部を過去最高の県大会ベスト4まで導いたエースだったけれど、三年の春の大会で右肘を故障してからバレーを離れていた。大学でもバレーを続ける気はないらしい。私たちは高校の頃にそれほど言葉を交わしたことがなかったけど、河合君は私のことを憶えてくれていて、それから私たちはなんとなく仲良くし始める。講義を一緒に聞いたり、ごはんを一緒に食べたりするようになる。

 やがて夏になると、私たちは自然に付き合い始める。初めて男の子に抱きしめられたり、初めてキスしたりする。でもなんとなく関係が始まったせいか、次の段階に進むのを、お互い気恥ずかしく思っていた。

 でももちろん、いつまでも恥ずかしいままじゃない。秋の初め、夏が終わって少し涼しくなってから、私は河合君に身体を許した。河合君が初めてなのかどうかは怖くて聞けないけど、もちろん私は初めてだった。

 気持ちいいのか痛いのかもよく分かんないまま初めてが終わって、きっとそのせいなのだろう、私の中には、ある疑念が生まれる。


 ――私は本当に河合君のことが好きなのだろうか?


 河合君とはそれから何度も身体を重ねたけれど、私の疑念は募るばかりだった。

 それでも私たちは人並みに性欲があって、私は河合君と離れてしまったら、それを満たすことができなくなるかもしれないと思っている。性欲っていうのは多分、セックスしたいってだけの欲求じゃなくて、男女の性差を埋めたいという欲求なのかもしれない。手を繋ぎたいし、抱きしめてもらって安心感を得たいと思う。話を聞いて欲しいと思う。声を聞いていたいと思う。でもそれが、河合君を好きだという直接的な感情なのかは、いまの私には分からないのだ。

 ある夜、河合君が言う。

「……あのさ、口でしてくれない?」

「え。」

 フェラチオをしてくれ、と言っているらしかった。セックスについて、私は基本的に河合君にされるがままで、自分から積極的に何かをするということはあまりなかった。性器をくわえることにも多少の抵抗はある。けれど河合君がして欲しいと言うのなら、私だってそれにこたえてあげたいとも思う。

 私はエッチなビデオも見たことないし、フェラチオというものについてもan・anの特集で斜め読みした程度の知識しかなかったけど、とにかく口にくわえて舐めればいいのだろう。河合君の性器はそれほど大きいという感じではなく、かといって小さくもなく、「おお、こんなのが私の中に入るんだな」ってくらいには大きく赤黒くて、まじまじと見たのはこれが初めてだった。ちょっとおっかなびっくりだったけど、私は思いきってそれを舐めて、くわえて、吸い付いて、河合君の反応を見ながら舌の動きや舐める場所を変えて、なんとなく様になってる気がする。そして河合君が我慢できなくなって私の口の中に射精をして、射精のタイミングなんてうまく読めない私は驚いて口から性器を引き抜いて、そして唐突に、かつての気がかりだったことを思い出した。


 ――いま、ロープウェイは、どうなっているのだろう。


 なぜ思い出したのかと言うと、それは河合君の射精が私の口の中で天啓を起こしたということではなく、ほとばしる生命の脈動が私のひらめきを刺激したのではなく、もっと単純で、河合君の性器を私の口の中から引き抜いた時、私の唾液と彼の精液が混ざって、綺麗に糸を引いたからだ。――そして、その糸はたやすく切れてしまう。

 私は、ロープウェイのことが心配になる。




 翌日の朝、私は大学へ行く前に、久々にロープウェイの様子を見に行くことにした。ロープウェイの駅がある近所の空き地に行くと、すでに乗務員募集の貼り紙はなく、この時間、ロープウェイはどうやら火星に行っているようだった。いつから運転を再開したのかは分からないけど、私の後釜はすでに見つかったらしい。

 はたして、いまは誰がロープウェイを運転をしているのだろう。私はロープウェイを運転している時、まるで永遠のような孤独を感じていた。いまの運転手はどんな気持ちで、ロープウェイに乗っているんだろう。私みたいに孤独を感じていなければいいと思う。私みたいに馬鹿まじめに職務規程に則ってないで、ウォークマンでももいろクローバーZでも聞きながら、不真面目に仕事をしていて欲しいと思う。……それはいまさら、私が思うことではないかもしれないけれど。

 ゴンドラのいない空き地を離れて、私は大学へ向かった。ロープウェイのことは気になったけど、私は私の生活をきちんとこなさなくちゃならない。

 大学についてから、講義の始まる前にアヤに会って、私はなんとなくロープウェイの話題を振ってみる。

「ねえアヤさ、私がロープウェイの運転してたの、憶えてる?」

「……なんだっけそれ。」

「高校の時のバイト。」

「ああ、なんかやってたね。……あ、思い出した、三年に上がる前に事故ってクビになったやつだ。」

「……それそれ。」

「で、あんたの昔のバイトがどうかした? またやろうって話なら、やめといた方がいいと思うけどね。あのバイト確か、朝と放課後って、結構イヤな時間を拘束してたじゃん。河合君と会う時間なくなるよ。」

「うーん、河合君のことはいいんだけど。」

「いいのかよ……。」

「いや、そもそもまたあのバイトがしたいって話じゃなくて、なんていうのかな……。」

「はっきりしないなー、なんなの?」

 ――なんだろう?

 結局自分でも何が言いたいのかよく分からないまま一限のベルが鳴って、私はアヤと別れて自分の講義へ向かう。講義が終わって昼になって学食に何人かの友達で集まって、私がお弁当のごはんをポロポロとこぼしながらロープウェイのことをうだうだ考えていると、見かねたアヤが提案してくる。

「もー。それじゃあ、火星行ってみる?」

 灯台もと暗し、目から鱗、虎穴に入らずんばなんとやら、私はすぐにその提案を受け入れることにした。




 その日の大学の講義が終わって、私とアヤはロープウェイのある空き地へ向かう。ロープウェイの出発まではまだ少し時間があって、私たちはゴンドラの中に入ってから、出発を待った。運転手はまだ来ていない。

「なんか懐かしいな。」

 私は運手席の方を見てから、何だか複雑な気持ちになる。あの頃は全く楽しいと思わなかった仕事だけど、それさえも懐かしいように思えた。

 隣を見ると、アヤはいつもの通学電車に乗るような気怠さで出発を待っていた。ケータイを扱いながら、なんだかつまらなさそうだ。

「アヤは火星、初めて?」

「うん。それほどテンションは上がんないわ。」

「まあ、火星だしね。」

「あんたが何を気がかりにしてんのか知らないけど、見つかるといいね。何か忘れ物してんでしょ?」

「……忘れ物?」

「いや、よく知らないけど、鍵のかけ忘れとか、ガスの元栓閉め忘れとか、コンドームの買い忘れとか、そういう忘れ物。」

 アヤに言われて、私は自分が忘れ物をしたのだと、初めて自覚した。――いや、自覚したのではなく、気がかりだったことに「忘れ物」という言葉が与えられただけなのかもしれない。だから、それは本当に火星に忘れてきたものなのかも分からない。本当にそれは、火星で見つかるのかも分からない。あるいは火星に忘れていなくても、火星で見つかったりするのだろうか?

「とりあえず座ったら?」

 立ったまま考え込んだ私にアヤが言う。私は考え込んだまま、アヤの隣に腰掛ける。

 やがて時間がきて、ロープウェイの運転手がやってきた。――私たちの母校の制服を着た、女の子だ。その子が運転席に座り、機内アナウンスが流れる。

『当索道はまもなく、地球を出発いたします。』

 ゴンドラが地面を離れ、私は永遠のような時間のことを思い出し、少し怖い心地だった。




 でも私は、それが永遠でもなんでもないと思い知り、拍子抜けする。あの時、永遠のように感じた時間がまるで嘘のように、火星にはすぐに辿り着いたのだ。

 それはゴンドラの速度が上がったのではなく、きっとアヤが隣にいて、私は運転手じゃなくて、孤独じゃなかったからだと思う。

「宇宙ってけっこう綺麗なのね、私感動したわー。火星も結構いい感じ」

 なんて言いながら、アヤは自分のケータイでゴンドラから見える景色を写真に収めていて、出発前までの態度はどこへやら、楽しそうにしていた。ロープウェイが火星について、私たちは火星に降りて、その寒々とした大地を見初める。それは案外悪いものでもないようで、私がそう思ったのは、きっとアヤの存在が大きいだろう。そこには寂しさこそあれ孤独感はなく、ただ広大な大地が大の字で眠っている。私はしばらく、それをじっと見ていた。

「何か見つかった?」

 アヤが私に聞く。

「――いや、どうかな。」

 そうは答えたけれど、残念ながらこの時、私は何も見つけられなかった。

 そして何も見つからないまま、ロープウェイの出発時間がきて、私とアヤは地球へ戻る。その帰り道、私は自分の忘れ物の正体について、ぼんやりと考えた。

 私は何を忘れてしまったのだろう。そもそも私は、それをいつなくしたのだろう。自分でも気づいていない失せものを、どうやって見つけることができるのだろう。自分にしか分からないはずのものを、誰が見つけてくれるのだろう。火星の駅には遺失物管理をしてくれる人はいない。何かを落としたって拾ってくれる人も預かってくれる人もいない。――だから見つけることができるのはきっと、自分だけだ。

 考えて、考えて、地球でアヤと別れてからも考えて、私はふと、何かを思い出した気がした。しかしそれと同時にiPhoneの通知音が鳴り、思い出したはずの何かは流れ星のように消える。iPhoneからの通知は河合君からメールで、そのまま私は河合君と会う約束をする。どうやら火星に行っているあいだ、私の電話が繋がらなかったので、心配していたらしい。こういう時、私は河合君のことを多分好きなんだと感じる。離れていた河合君とガストでごはんを食べて、セックスをして、また離れる。月曜日に講義が一緒になって、しゃべって、ごはん食べて、チューして、舐めて、舐められて、離れて、くっついて、また離れる。……ひとつになったって、どうせまたふたつになる。それでも愛は時々、永遠だと言われる。でも、本当に永遠なんてあるのだろうか。ゴンドラに乗っている時、私は永遠を思い出したつもりでいた。でも、それは思い出した気になっていただけかもしれない。そもそも私は、永遠なんてものを、きちんと知らないのかもしれない。私が永遠だと思っていたものは永遠ではなく、私が信じていた永遠は、存在しなかったからだ。

 ――だから多分、私の失せものは、きっとそれだ。私は永遠を見失ったのだ。私は自分が永遠を持っているのだと思っていた。でもそれは、いまの私には見当たらない。私は永遠を探したい。永遠を探さなくてはならないのだろう。そしてそれは、私がずっと抱えている「気がかり」であるのなら、きっとロープウェイや火星のどこかにあるに違いないのだ。

 私は永遠を知りたい。永遠を思い出したい。永遠を確かめたい。その存在を認めてみたい。あの時感じていたはずの永遠のような時間を見つめたい。永遠はあるのだという確証を得たい。私は孤独と共に永遠を感じた。けれどそれは永遠ではなかったと知った。それは永遠なんてこの世に存在しないということだろうか。仮に存在しても、私たちは永遠のそれに気づけないのだろうか。永遠が存在しないなら、あらゆることは全て終わってしまう。私とアヤだって友達でなくなってしまう。河合君を好きな気持ちも終わってしまう。何もかもが意味のないものになる気がする。永遠を信じることで続く何かがある。永遠を疑うことで終わる何かもある。だから、愛は時々、永遠だと言われる。それはきっとみんな、本当は永遠がなんなのか知らないからだ。それでも信じていないと、失われると思っているのだ。

 でも私は永遠を疑ってしまった。だから私は永遠を失ってしまった。――けれど、失ったということに気づいたのだ。だから私は、永遠の正体を探すことができるかもしれない。その正体に気づくことができるのかもしれない。永遠の在、不在を、認めることができるかもしれない。




 私は夕方、改めて空き地へ向かった。永遠を見つけるために、私はもう一度、火星へ行かなくてはならない。空き地のゴンドラは全て飲み込みそうにぼんやりと口を開けている。私はそこに吸い込まれそうになって、足がすくんだ。

「あの……。」

 立ち止まる私の背後から、不意に誰かに声をかけられた。私は大げさに肩をびくつかせ、そっと背後へ振り返る。するとそこには、私たちの母校の制服を着た女の子が立っていた。――アヤとロープウェイに乗った時にも見かけた、運転手の女の子だ。運転手の女の子は少し怪訝そうに「乗るんですか?」と聞いてきたので、私は気を取り直して、大きく素早く、二回ほどうなずいた。

「うん、乗る、乗ります。」

 私が答えると、その子は続けざまに言葉を発した。

「あの、お姉さん、この間も乗ってくれましたよね?」

「あ、憶えててくれたんだ。」

「はい――あの、どうして何度も火星へ?」

「どうしてって……ちょっと忘れ物を取りに。」

「……そうですか。」

 私の言葉に、その子はやはり怪訝そうにしていたが、それ以上は何も聞かず、「そろそろ出発です」と言って運転席に乗り込んだ。私も客席に座り、社内アナウンスが流れる。


『当索道はまもなく、地球を出発いたします。』

『当索道はまもなく、地球を出発いたします。』

 ゴンドラが揺れる。




 広大な宇宙に張られているロープと、それを伝うロープウェイの中の私は、妙に点としている。ロープウェイの中でそわそわと暗闇を進む私は、まるで張り詰めた糸を伝う水滴のようだ。宇宙が窓の外に広がり、運転席には女の子がいる。私は全く知らない子と、二人で火星へ向かっている。

 私はなんとなくさっきの会話が気になり、しばらく運転席の方を凝視していた。なんだか生真面目そうな子だ。職務規程はしっかり守りそうな感じがする。ももクロなんてそもそも聞かなさそうだ。ちゃんと働けてるかな? なんて、私はまたいらない心配をしてしまう。

 私はしばらくして運転席の方を見るのをやめて、窓の外に目を向けていた。アヤはこの間、この光景が綺麗で壮大だとはしゃいでいたけれど、私はあまりに空間的すぎると思った。やはりそれは、いまの私が孤独だからかもしれない。それでも少し気が楽なのは、きっとさっき、運転手の子が話しかけてきてくれからだろう。

 私はもう一度、運転席の方を見た。――すると同時、運転席からその子が急に立ち上がり、客席の方まですたすたと歩いてきたかと思うと、私の隣にすっと腰を下ろした。私は少し驚いてその子にじっと首を向けていたけど、その子は私のことを少しも見てこない。

「あの――。」目線の合わないまま、その子が口を開く。「さっきの忘れ物をしたって話、嘘でしょ、お姉さん。」

 聞かれて、それが嘘か本当か、自分にも分からなかった。

「どうしてそう思うの?」

 私がそう聞き返して、私たちはぼんやりとした会話を始める。




「……私、この仕事を始めて、一年くらい経ちます。でもお姉さんが、あの時乗ってきてくれたお姉さんたちが、初めてのお客さんだったんです。だから忘れ物のしようがないと思いました。」

「なるほどねー。でも嘘じゃないよ。一応、忘れ物を取りに行くんだよ、私は。」

「本当ですか?」

「本当か、って言われると分からないんだけど、嘘じゃないよ。」

「――わけ分かんないです。」

「まあ確かに、火星なんて誰も行かないから、急に誰か来たら不安になるかもね。分かるよ。」

「分かるだなんて、それは、本当に嘘だ……。」

「これは嘘じゃないし、本当だよ。」

「私、こんな仕事しなければいいって、後悔してるんです。こんなに寂しい仕事だと思わなかったから。こんな気持ち、分かってもらえるわけない。この孤独は多分、私だけのものなんです。」

「私も、こんな仕事しなければいいって、後悔したよ。」

「……え?」

「いまでも少し、してるかな。」

「お姉さん、もしかして『簡単な操作を誤ってゴンドラをお釈迦にしたぼんやりJK』ですか?」

「ええええ、なにそれ。」

「私がこの仕事をする時に、会社の人から聞いた前任者の話です。」

「いや多分それ私のことだけどマジか……。おおお、そうやって社会での評価って下がってくのかな……。」

「――そっか、お姉さんが、そうだったんだ。」

「うん。なんかごめんね……。」

「あの、先に聞くべきでしたけど、名前、聞いてもいいですか?」

「うん? 私の? 急だね。」

「はい。」

「私シンコって名前なんだけど、小学生の時に名前を噛んで『チンコ』って言ってからこっち、人前で名乗るのがちょっとトラウマなのよね。」

「わあ……なんでそんな話を急にブチ込んできたんですか。」

「女の子がブチ込むとか言っちゃだめよ。」

「お姉さんの話の方が、ずいぶんゲスかったですけど。」

「それは……そうね。だからまあ、私のことを呼ぶ時は『お姉さん』でいいよ。噛んだら大変。」

「分かりました、シンコさん。」

「お、勇気あるね。」

「そりゃそうですよ、私ユーキですもん。」

「……あ、名前か。ユーキちゃんって言うんだ。かわいい名前ね。チンコとは大違い。」

「…………。」

「ごめんごめん。」

「いえ、いいんですけど。――それでその、シンコさんは、この仕事をしてたってことは、本当に火星に忘れ物を?」

「まあね。鍵の閉め忘れとか、ガスの元栓閉め忘れとか、コンドームの買い忘れみたいなもんかな。――いや、私もよく分かってないんだけどね。」

「だいぶぼんやりしてるけど、なんか、分かるような……気がします。」

「そっか。」

「嘘です。何も分かりません。」

「そりゃそうか。」

「でも私は火星に、何度も行こうなんて思えません。」

「仕事で毎日行ってるもんね。私も働いてる時はそうだったよ。」

「ええ。火星って何もないから、あんな寂しいとこ、もうみんなに忘れられてるんだって思ったんです。」

「――火星が忘れられてる?」

「はい。みんなそれを、ないものとして扱っているように思ったんです。そう思ったら私の仕事も、なんだか、忘れられているような気がして……。火星は誰にも憶えられずに、ひとりぼっちで、まるで永遠のような時間を、ロープウェイの中の孤独のような時間を、ずっとずっと、感じているのかもしれないって思ったんです。」

「それだ!」




 私は思わず叫んだ。ユーキちゃんはびっくりして目をぱちくりさせていたが、私は構わずに続ける。

「私の忘れ物!」

 ずいぶんと遠回りをしてしまったけれど、私はようやく、自分の忘れ物に気づいた。

 きっと私にとって、火星こそが忘れ物だったのだ。

 私は火星の姿を思い出す。何もない地平を思い出す。何もない地平で圏外だったiPhoneを思い出す。アヤと見て悪くないと思った広大な赤土を思い出す。火星こそがきっと、多分、おそらく、あるいは、それが永遠なのだ。孤独な火星、忘れられた火星、孤独で寂しい寂しいと物憂げに泣きはらしたような目をした火星。赤々とした大地に冷たい風の吹く火星。目の奥が痛むような赤色の火星。私は火星を思い出した。今度こそ本当に、本当の本当に、火星のことを思い出したのだ。私の忘れ物は火星で見つかるものではなかった。火星を見つけなくてはならなかったのだ。きっとあれが私の孤独で、私の永遠で、忘れられた私だったのだ。そこにあるのに、気づかれないそれ。すぐ隣にいるのに忘れられた火星――。


『まもなく火星、火星です――』


 機内アナウンスが流れて、ユーキちゃんが運転席へ戻る。私とは違って、操作を誤ることもなく、ゴンドラは無事に火星で停まる。ユーキちゃんはブレーキを失敗しない。私の失敗を知っていたユーキちゃんは、多分、私よりも慎重にブレーキをかけるのだろう。

 ユーキちゃんは急にテンションの上がった私を不思議そうに見ていたが、それでも「忘れ物が見つかったみたいで、よかったです」と、意味も分からないまま、なんとなく祝ってくれた。まじめでいい子だ。

 私はゴンドラの出入り口に立つ。この一歩先が火星だ。私がこの先へ進んで、初めて私の忘れ物探しは終わる。私はユーキちゃんの方へ振り返った。

「ねえ、ユーキちゃん。私、しばらく火星にいるから。」

「え?」

「忘れ物は見つかったんだけどさ、また忘れちゃいそうだからね。」

「…………。」

「とりあえず自分がここにいれば、火星のこと、忘れようがないでしょ?」

「それは、そうかもしれませんけど……。」

「一日に二回は、ユーキちゃんも来てくれるでしょ。」

「はい、私は多分、忘れません。」

「ほらね。ありがとう、ユーキちゃん。」

「はい……ねえ、シンコさん。」

「なに?」

「私、今日はすごく嬉しかったです。火星が忘れられてないってことも、なんだか、救われた気がしました。」

「そうかな。でも案外、火星は忘れてて欲しかったかもよ。独りが好きなタイプかも。」

「そうかもしれません。でも私、思ったんです。孤独ってもしかして、認められるんじゃないかなって。」

 ユーキちゃんの言い分はこうだ。つまり、この世の全てのそれぞれが孤独だから、私たちは存在を為しているのじゃないか――孤独を認めあうことが、関係と連鎖を生んでいくんじゃないのか。




「シンコさんが私の前任だって知った時、そういう風に思ったんです。理屈があるわけじゃないんですけど、シンコさんが孤独を感じたから、私が孤独を感じて、そうやって私たちは関係したんじゃないかなって。こうやって孤独が折り重なって、火星という孤独を知って、ロープウェイという孤独を知って、シンコさんという孤独ができて、私という孤独があって、そうやって、それが続くんじゃないかなって思ったんです。それぞれが本当は孤独だから、孤独でいたくないという気持ちで、私たちは繋がっているんじゃないかって思うんです。」

 ユーキちゃんの話を聞いて、私は孤独について考えてみる。もしかすると、永遠というのは、即ち孤独のことなんじゃないかと思う。私は火星のことを思い出したけど、火星はどうだろう。きっと私のことなんて知らないし、どうでもいいと思っているに違いない。どうでもいいとさえ思っていないかもしれない。『死ぬ時は誰しも独り』なんて哀しいい言葉があるけれど、それは多分全くその通りで、もっと掘り下げて言えば、生きながら誰しも独りなのだと思う。全ては孤独で、孤独が孤独と集まって、孤独が孤独を忘れたり憶えたりしながら、繋がっていく。あらゆるものは記憶されたり、忘却されたり、せわしなく動いている。私はきっと、河合君のこともアヤのことも、ユーキちゃんのことも、いつか忘れる。それは私が死んでからかもしれないし、それよりもずっと前かもしれない。河合君が高校生の頃、バレー部で県大会ベスト4まで登り詰めたことを、アヤは知らなかった。河合君本人も、それほど気に留めていないようだった。これはうちの学校の記録だったけど、その程度だ。

 でも多分、忘れるとか、忘れられるとか、そんなのは普通のことだ。忘れる、忘れない以前に、知らないことだってたくさんある。存在を知ることや、知らないこと、些細なことも大きなことも、人は少しずつ忘れながら生きていく。忘れるのが怖いから、写真や文書、石版やディスクに記録して、人々はあらゆる記憶を保存しようとしている。

 でも――でもそれは本当に恐ろしいことだろうか。存在していたという記録や記憶がなければ、存在していなかったことと同じだろうか。存在を認められたいという承認欲求によれば、それはその通りだろう。

 けれどそうじゃない。多分、存在なんてものは、存在しないのだ。そしてそれこそが、永遠の正体だ。

 私は孤独だ。忘れ去られる。みんなも孤独だ。忘れ去られる。関係というのは、孤独と孤独の干渉だ。孤独は何かに影響を与えながら、孤独のまま消えていく。でもそれは、永遠という仕組みの一つだ。私たちは孤独であることで、永遠の中にいる。素粒子という孤独があって、そのたくさんの孤独が集まって、きっと私たちは生きている。誰か知らない人の失敗を、ユーキちゃんが反面教師にしたみたいに、お互いの孤独を認めあいながら、私たちは干渉しあっている。こういった干渉が、永遠に続いていく。だから私がこうして、火星で孤独をかみしめるという意味のない行為も、どこかに続いていくに違いない。

 そして、あいつが独りでいるらしいからちょっと冷やかしにいってやろう、なんて、誰かが思って私を訪ねてきてくれるといい。

 たとえそれが一年先でも良い。十年先でも良い、百年先でも千年先でもいい。一万年でも一億年でも兆でも京でも亥でも極でも恒河砂でも那由多でも十の六十八乗年先でも不可説不可説転年先でも良い。全ては連鎖的に永遠だ。永遠以外はこの世に存在しえない。永遠こそが存在だ。朽ちるとか、失うとか、死ぬとか、そういうのは本当は終わりじゃないのだ。じゃあ終わりってなんだろうと言われても、そんなものは私にも分からない。本当に終わるものがこの世にはあるのだろうか。それも分からない。分かっているのは、俗に終わったと言われることは、何かしらの形で連鎖し、永劫に残り続けるということだ。たとえば私の素粒子は輪廻し、転生する。死んで骨になって土に返ってそれが掘り返されて捏ねて練られて、明日にはあなたのお茶碗や数百万の価値を持つ器になったりするかもしれない。蒸発した私の水分が空に返って雲になって夏休みの朝顔を咲かせるかもしれない。私が燃やされた熱エネルギーが宇宙へ放出されて、そのエネルギーが宇宙の塵を少し動かして塵が集まって隕石になって他の隕石とぶつかってぶつかって新しい星を作るかもしれない。そうやって全ては永遠の中で回り続ける。もちろん全ての始まりはあるだろうし、きっと始まりは一つしかないだろう。全てはその一つの始まりからの連続的な結果と連鎖に過ぎない。

 じゃあ一つの始まりってなんだろうか。それも、もちろん分からない。宇宙が誕生する瞬間とか、そのもっと前の状態とか、時間と空間と言う概念がこの世界に現れた瞬間だとか、無が存在した瞬間だとか、少なくとも、そうやって遡っていけば、そのうちには見つかることだろう。私たちはその始まりからいままで、ずっと続いてきたのだ。その始まりがあって宇宙があって大宇宙があって小宇宙があって銀河があって星団があって太陽系があって地球があって海があって陸があって日本があって福岡県福岡市博多区があって、私がある。私が死んでも私があり続けるかどうかは分からないが、しかし私と言うものから発生した現象や命や言葉やなんかは終わらずに連鎖し続ける。そんなものはない、と言う人もあるだろうし、私だってそんなものはないかもしれないと思う。けれどそうじゃない。私がいなくてもあなたがあって、私が知らなくてもあなたがあって、あなたがいなくても私があって、あなたが知らなくても私があって、無関係でお互いを知らなくても、私があってあなたがあることは事実なのだ。

 事実は消えない。絶対にあり続ける。もしも私たち人類がいなくてもきっと宇宙があったように、それは事実だ。それが記録されるとか記憶されるとかそういうことではなく、私たちという単位での連続や不連続や過去や未来やなんてものは、きっと永遠とはけして関係のない事柄であり、ただ単に私たちが事実と言う意味で、絶対に永遠だ。

 じゃあ結局のところ、永遠ってのはなんだろう。その答えを私は知っている。




 永遠に続いに欲しいと願うこと、永遠であると根拠もなく信じ続けること、大切なものを祈ること、大切でないものも祈ること、あらゆるものを受け入れ、拒絶し、無関係でも、関係しても、好いたり、嫌ったりして続くこと。形はないが、確実に存在している永遠であれというそれ。

 ――そのことを私たちは愛と呼んでいるはずだ。




 愛は時々、永遠だと言われる。

 永遠は愛で、愛は全てだ。そして全ては孤独で、孤独こそが永遠だ。

 存在は全て等しく孤独で、孤独な私たちが干渉しあって、何かが動いて、あるいは何も動かなくても、それが愛なのだと思う。孤独と向き合うことが永遠で、私たちは存在するだけで愛だ。それこそが唯一の、正しく本来の普遍だ。どこにも記録されないことに意味なんてあるのだろうか? しかしきっと、記憶されることにさえ意味なんてないのだ。

 いずれ消えていく私たちが誰にも憶えてもらえなくてもいい。私たちがいたということは一度分解されて素粒子になって次の何かになっていく。私だって宇宙の何かが私になったのだ。生きるということは、存在の連続性の一文節に他ならない。私たちは素粒子の孤独を認めながら、生きるしかない。




 私たちはきっと、ひとつになんてなれない。ひとつになったって、どうせまたふたつになる。共存共栄なんて以てのほかだ。きっと平和なんてこない。私たちは死んだり生きたり、生かしたり殺したりするだろう。これも何かの連続の中の文節でしかないし、私が河合君を好きなのだって、それは多分、同じことなのだ。「まとまりがない」という、ひとつのまとまり。切れる糸さえ連続だ。私が死ぬことは知らない何かの始まりだ。

 拒絶や暴力さえも優しく包み込むことが愛だろうか? もちろんそれは愛だろう。でもそれができるのは、私でもあなたでもなければ、神様でもないしノーベル平和賞でもない。宗教は人を救うだろうか、愛は地球を救うだろうか。けど宗教は人をダメにしたり、争いも生む。どうやら愛は地球を救いそうにないし、むしろ滅ぼしそうだ。人間が「愛」を唱える以上、「愛」というのはそういうものだ。本当に愛が全てを受け入れることだとして、地球を救うものだとして、本当にそれができるのは、きっと永遠という時間だけなのだ。全ては永遠という時間の中に、包まれるしかない。




 だからまずは、自分を慈しみ愛し、他人を慈しみ愛して、それが永遠なのだ。

 永遠は良い。永遠は絶望や哀しみが続く、かわりに希望や悦びも続く。動物には動物の哀しみや悦びがあるだろう、植物には植物の哀しみや悦びがあるだろう。それらも永遠に続くはずのものだ。私も、お母さんも、アヤも、河合君も、ユーキちゃんも、みんな孤独だ。みんな孤独だから、私たちは私たちを愛していられる。




「それじゃあユーキちゃん、またね。」

 まもなく出発を迎えるロープウェイに、私は手を振ろうとするが、しかしユーキちゃんがiPhoneを取り出した。

「シンコさん、どうせだから、LINE交換しましょうよ。」

「え、でも火星って繋がらないでしょ?」

「こないだアンテナが立ったんですよー。」

「マジか。」

 やるじゃんソフトバンク。

 私はユーキちゃんとLINEのIDを交換して、こうして孤独を共有していく。『よろしく』と送ると『こちらこそ』と返ってくる。

 そしてロープウェイは、火星を離れた。地球へ向かうロープウェイのゴンドラを見ながら、私はふと思い出して、アヤのLINEにメッセージを送ることにする。

『今日、資料集いるよ。』

 アヤからは何日か経って、すぐにメッセージが返ってくる。

『いつの返信だよ!』

 ――なるほど、案外憶えてるもんだな。

 そして、私は火星の赤土を踏む。

 この広い火星で、私は生き続けるだろう。ひょっとしたら退屈かもしれない。お腹もすくかもしれない。寂しくなって泣き出すこともあるかもしれない。でも時々誰か、それは見知らぬ人でも家族でもアヤでも河合君でもユーキちゃんでも宇宙人でも良い、とにかく誰でもいいからロープウェイか何かでこの火星に来てくれるといい。そうしたら私もたくさん自己紹介をしなきゃだから、名前を噛んでしまうかも……なんてトラウマも克服できるだろう。


「初めまして、チ……シンコです。何もないとこでしょ? うふふ。」


 私が笑うと、きっと相手は苦笑いを返してくれるのだ。

 そんな人に私は、何もないけれど、永遠くらいはもてなそうと思う。

 ハグやキスだってしてあげる。

 うんざりするほど愛してあげる。

(キスマーク)



/了

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