――砂糖と香辛料が混じり合うとき、そこに女の子が生まれる――
このブログは立談百景による「少女」をテーマにした小説を掲載しています。

2012年8月25日土曜日

【小説 / 宇宙少女シリーズ】 アルファロメオ [The OMEGA]

【あらすじ】
※本作品は、何も考えずに高速で文章を組み立てる「自動筆記」を手法に取り入れているため「あらすじ」がありません。この作品は自動筆記により、およそ1時間ほどで書かれた文章です。


【概要】
ジャンル:SF(すこしふしぎ)
原稿用紙枚数:14枚
読書時間目安:20~30分
初版脱稿:2010年頃
加筆修正:-





アルファロメオ [The OMEGA]


 昨晩の暴風警報にミニスカートで飛び出すことにした。空には宇宙魚の大群がいてこの福岡県の暴風警報を憂いでいたけれど、私にとっては一昨日のビルの照り返しよりも何ら意味のない空想だったような、現実だった。

 そのうちになってぽかぽか陽気で朝が来て、放射冷却よりも躯の芯がなんとも冷えているみたいで、私は全身が貧乏揺すりで目を覚ます。気がつけば道の真ん中に布団を敷いていたのはお父さんで、お父さんはそのまま仕事に行ってしまったけど、お母さんは朝ご飯を作っていた。私は学校に行きたくない。このことを親友のポンティアックは怪訝に思っていたが、私は見て見ぬふりをしていた。

 でも学校に行くと楽しいことやつらいことが待っているから行かなくちゃいけない。学校では宇宙図像学を勉強している私だけれど、とかくこの世は浮きづらい。はるか上空に見える多彩な色彩の沢山の手が、手が、手が、いつ私たちや動物や下着を掴んで宇宙の外へ放り出すのかも分からない。宇宙の外がどうなっているのかはまだ誰も知らない。なぜなら宇宙の外から帰ってきた人間は、みんな嘘つきだからだ。

 私は宇宙の外へ行きたい。大抵は自分のためではなく明日のために。そうして嘘つきになって帰ってくれば、誰も私を人としては見てくれなくなるのだから。そうすれば、明日は今日よりも美味しいものが食べられるかもしれない。

 それはおそらく反物質摂取による副作用で、惜しむらくは美味しいものがわずか一次元にしかいないという、狩猟的な観点で見てなんの喜びもないということだが、それを差し引いても宇宙へ行くことは私にとってかけがえのないメリットだ。

 そしてスカートがめくれて宇宙が見える。夏のセーラー服は明日で衣替えだ。だったら宇宙へ行こう。地球にいるよりは、幾分宇宙の外に近い宇宙へ。ああ、こんな時に学校で勉強していたことが役に立つだなんて思わなかった。私は空想に近い宇宙の図像を、こんなにも正確に描けてしまうのだ。

 私はスカートの中に潜り込んで宇宙を探す。宇宙の正確な図像を知る私だからこそ、宇宙は私が見つけることのできる唯一の、そして大量生産されたほんの僅かな無限に過ぎない。無限の外には嘘がある。人は嘘に当てられて政治家や泥棒になる。私は嘘つきになんてなりたくはない。昨日より大切な一昨日の明日は真実を語る絶好の口実だから、私は外宇宙に行っても嘘つきにならない方法をにわかに想像し始める。死人が生き返ることはないが生者が死に向かうことはある。不可逆性こそが本来の私を見失うために設けられた給水所なのだ。

 私は以前ポンティアックに言われたことを思い出す。曰く、アルファロメオには気をつけなくてはならないと言う。アルファロメオこそが喪失の根源だと言うのだ。

 そしてやはり、宇宙は見えているのに一向に見つかる気配がない。ポンティアックの提言を裏付けるように、郵便局に貯まった消印のない封筒にはアルファロメオの誘惑がすり込まれている。それらの郵便が星団のそれぞれに速達で届けられるころ、宇宙は少しずつその姿を変えて、私はそのたびに図像を書き換えて、宇宙の行方は生クリームの中を泳ぐ雌鳥のように分からなくなるばかりだった。

 このままではいけない。私は一度スカートから出て学校へ行くことにした。学校ではつらいことが起きて、私はプールの温水で表面活性剤を使用した空剤の研究に勤しんで、鰯雲の大群を錠剤にすることに成功した。行動原理はいたく単純で明快な私利私欲であり、本来的な意味では宇宙へ行くことよりも大切なことだったが、しかしこの空剤を作らなければ宇宙を見つけることができないような気がして、三杯のシロップはメロンソーダには溶けきらなかったのだ。

 早くしなくてはならない。夏服が終わる前に宇宙を見つけなくてはいけない。冬の宇宙はよく響く。響く宇宙は畏まらない。スターバックスコーヒーのカップの中には似たような宇宙がしかし畏まっているので、私は冬の宇宙を想像できる。これでまた図像を描ける。描いた図像がなければ宇宙はフラクタル化したガルウイングドアであり、そこに挟まれることにより宇宙は見つけるべき形でなくなってしまう。ツインテールのラクダが砂漠を歩くのは砂丘礼拝の一種で、それと同様の理屈で宇宙魚たちは地上に暴風を起こす。この暴風が宇宙の図像の最大の細部だ。

 かつて跋扈したというポインター亡き今、私のスカートの中は一昔前の一〇〇年後を彷彿とさせるなめし革で、この革で作られた旅行鞄にはエベレストの鉱脈で取れたアクリル絵の具がよく似合う。アクリル絵の具で描かれた絵画にはある種のワームホールが描かれるため、それを頼りにしてポインターを失った鏡星雲艦隊はスカートの中から這い出て航海図と羅針盤を火にくべる。羅針盤の狼煙は鏡星雲の形をして、遙か彼方の遊星へ届かない。遊星は狼煙がないのを良いことに、宇宙を探す私の目の前にペルシャで織った釘曼荼羅を拡げ、誤った宇宙を解釈を講釈しているが私は惑わされない。それは私に空剤の使用が許可されていたからだ。

 けれど私は惑わされることになるだろう。なぜなら私にもやがてアルファロメオの誘惑がやってくるからだ。私は気づけば星団で、見つけるべき宇宙の中にいるせいで宇宙の本当の姿をとらえることができなくなっていたのだ。これではこの宇宙がフラクタル化したガルウイングドアであるのか、円柱状に拡がった花崗岩の鋳造所であるのか区別もつかない。私を謀ったのはお父さんで、お父さんの仕事をしていたのはお父さんだった。

 宇宙にいる私は内側から図像を描く方法を模索するも、宇宙においては空剤の使用もおぼつかないため、私は真実を語る嘘つきになる。真実とはいついかなる時も嘘のように語られるもので、本当に真実を証明する術などこの世には存在しない。真実とは行きすぎた説得力に他ならない。私はこの内面の宇宙の図像を描いたところでそれを証明する術を持ち得ないのだ。スカートのほつれにだって存在する宇宙にはそれが完全な嘘だという証明もない。真実を証明する術がないので、この世に存在するのは嘘でも本当でもなく、ただ存在するという宇宙だけだ。だけどこれを見つけられない私には、まだ学校へ戻る言い訳も考えられない。学校がデタラメであることから、学校こそが本当だと言える。アスファルトが固まるのはそのせいだ。

 私はもう一度スカートに潜る。そしてもう一度スカートに潜る。更にもう一度スカートに潜り、最後にもう一度スカートに潜る。しかし宇宙は宇宙のままだ。私はいつの間にかなくしてしまった空剤を探して蟹座星雲の辺りまで行こうとするが、すぐ背後までアルファロメオの誘惑がやってきていた。思えば星団の私は消印を押されて農村部へと送り届けられようとしていた。これでは釘曼荼羅の餌食だろうがやむを得ない。惑わされて溶けるシロップもメロンソーダにはあるのかも知れない。私はシロップにならざるを得ない。

 しかしそれは発見でもあった。シロップになるということは私は身も骨も糖分になるのだ。糖分になれば背後から迫るアルファロメオの誘惑を堰き止めることはできるではないか。甘い物を憶えるのは苦い物を忘れることだ。シロップになることで私のスカートはジャムになってしまうが、それでも誘惑に苛まれるよりはいくらかましだ。宇宙を見つけるのに多少遠回りをすることになるだろうし、学校をサボらなくちゃならないけれど、今の私には最良の選択だろう。紫陽花が枯れるとそこにタンパク質が偶発するように、シロップは私の耳から入って足の裏から出ていく。私はシロップと同じになる。

 そして三メートル年と五重力秒後、アルファロメオの誘惑が私を突き抜けようとするとき、私の星団としての人格が液化する。様々な星団を取り込んだ誘惑は液状の私を中和して、ほんの僅かばかりの掘削機になったジンベエザメよりも最適な蒸留の一つだ。このことは特に天の川のちょうど真ん中辺りにある図書館が独自に保存した文献に詳しく記されている。その文献にはさまっていたポンティアックの置き手紙はシロップになった私とジャムになった私のスカートを学校は休むことにした。だから私はスカートを探さねばならない。スカートがどこにあるかは置き手紙にあったが、あれは北欧のコンテクストが震えることに由来するベルベットの肥料に違わないものなので、私には扱いが難しい。ポンティアックには大変申し訳ないことではあったが、私は花火型の鉄塔プリーツスカートを探すことにして、置き手紙は机の鍵付き引き出しに羽ばたいておくことにした。

 準備は整った。鉄塔スカートは冥王星クリーニングの忘れ形見であるので、私ははためく公衆食堂のカウチソファーで変速ギアの自転車の軛を外して泳いで行く。私は大樹の元で育ったことがあり、泳ぎには少し自信があった。大丈夫だ。こうなってしまえばあとは簡単だ。鉄塔スカートは竹林の若竹の先に咲き乱れている。これの一つを取って、駐車場の魔法を再生する手筈でしなやかに網膜を笑えばいい。やがて竹林についた私は、最も背の高い若竹を探す。そして見つけたその先には見込み通りプリーツスカートがたわわに実っていたので、私はその一つを捕縛し、ジャムになった私のスカートを脱ぎ去って、鉄塔のスカートを身に付ける。私はやがてくる釘曼荼羅の攻勢に備えなくてはならない。

 しかしその時だった。私が捨てたジャムのスカートの中から、様々な模様の動物と様々な色の人間が高等なハンドバックのように飛び出してきたのだ。ひらひらと揺れるスカートのプリーツの隙間から見えるのは沢山の手、手、手だった。あのスカートの中の宇宙の外はここなのかもしれない。しかし私に見つけられなかったあの宇宙はもう終わってしまったのだから、あの動物たちは宇宙の明日から放り出された信号の残滓なのだろう。私のチューリング完全な言語野は彼らの言葉を聞くことはできないが、彼らにとっての私は嘘つきだろう。

 そしてそのすでに終わってしまった宇宙とそれを内に秘めるジャムのスカートをさらっていったのは、何を隠そうあの鏡星雲の艦隊だったのだ。彼らは凸レンズよりやってきてスカートを攫い、私がなくしたと思っていた空剤を目の前に落とし、凹レンズの向こう側に去って行った。

 私は空剤を入浴する。釘曼荼羅にやられることもやむを得ないと思っていた私は、これで春を迎えることができる。鉄塔のプリーツは問題の範囲を公開するのも億劫で、強硬姿勢を崩さない物言いでは釘曼荼羅の二人乗りに浮かぶこともあるだろうが、もはやその心配はいらない。私は背後から迫る遊星からの釘曼荼羅をやりすごす。空剤の疎ましい釘曼荼羅は私を叫ぶように踊り付けると、鏡星雲の艦隊を追っていった。どうやら狼煙を上げたことに立腹していたらしいが、私にはもはや関係のないことだった。

 私は一つ、盲腸手術を結ぶ。

 そして宇宙の図像を改めて描く。私の探すべき宇宙の姿がそこにはあったが、それは宇宙ではなく、宇宙の前日の姿だった。

 全てを理解することができた。今までのことには全て理由があり、意味をなさなかったのだ。私には宇宙が見える。宇宙の後日でなくてよかったと思う。そうなれば私は完全に宇宙の前日を見落とし、宇宙の後日であればよいと願ったろう。それではダメなのだ。なすべき事に意味はある。スプレー缶に空いた穴には切れかけの外灯に銀河する。そうなっては宇宙の宇宙だ。

 私は改めてスカートに潜ると、そこには遙か遠くに宇宙が見えた。

 私はここにいるという人が時折いるだろう。しかしそこにいる人間なんて一人もいない。これこそが宇宙の前日だ。

 私の姿を見つけて宇宙が私に近づいてくる。しかし私はそこで背表紙に残っていた。

 私は夏服を脱ぐ。冬服の私が前日の宇宙に握りしめる。ついに私は宇宙の外へきたのだ。ここには何もない。私さえもない。嘘つきの私は完成したのだ。

 私を迎えにポンティアックの置き手紙がやってくる。私は置き手紙に返事を書いてスカートに潜る。スカートに潜れば潜るほど、私は福岡県へ帰ることができる。福岡県には相変わらず宇宙魚の暴風警報が宇宙の図像を狂わせているけれど、私はもはやその図像を描くことも叶わない。

 家に帰るとお母さんが晩ご飯をつくっていた。お父さんは仕事をしていなかった。今日は海王曜日なので神様の作らなかった安息日はこうして天然ゴムのように精度を上げていた。私は久しぶりに学校へ行きたいと思っている。

 すぐに学校へ行って親友のポンティアックにお礼を言おう。けれど彼は私のことを嘘つきだと思い続けるかもしれない。私は宇宙の外から帰ってきたからだ。しかしそれは嘘と真実の混乱に巻き込まれた後続車たちが横転して引き起こした磁気嵐の影響だ。私を嘘つきだという人はそれこそが宇宙であることを知らない。だから私は真実を話す。そしてスカートの中に潜って見ろと言うだろう。そうすればこれから、宇宙の前日が始まるのだ。

 明日は宇宙魚の大群もなく、きっと晴れやかに違いない。

 それは私が嘘つきだからにほかならない。

/了

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